単純な仕組みでできている私の身体は、毒を食べればすぐに腸が異変を示す。そしてすぐさま排出を行う。つまり、一般的に毒と言われるものでも、体調不良が起きなければ私にとっては毒ではないわけで、まずは口に入れてみるのが正解。
言うまでもないが、臭いや見た目、舌触りなどで異常を感じた場合、そんなものを嚥下することはない。体内へ送り込む時点での「検品」に合格したものだけが、食道を通過することを許される。
そんな野性的な私の腸に、ついさっき異変が起きた。キュルキュル音がすると、突如腹痛に襲われたのだ。
――この感じは直前に口に入れたものの影響だ。数時間前とかではなく直前であることは間違いない。
さらに悪質な痛みではないことから、毒物を排出すれば一気に痛みから解放される類のものであることも明白。
ちなみに腹痛というのは種類がある。たとえるなら、打撲と擦り傷と切り傷の痛みの違いのようなもの。同じ怪我でも、この三者は痛み方がまるで違ううえに治り方も異なる。
腹痛におけるそれらは、「切り傷」が最も早く痛みから解放される。続いて打撲、最後に擦り傷といった具合だ。打撲と擦り傷はなんだかんだで数時間、下手すると数日続くこともあるので厄介。それに比べて切り傷は速攻で回復するため、腹痛のなかではウエルカムな痛みだ。
そして今回の痛みも「切り傷」であることから、腹を抑えながら顔を歪ませるも、内心ニヤリとしながら廃棄物処分場へと向かう。
(・・・しかし、原因はなんだろう)
排出作業を進めながら必死に考える。なぜなら、直前に口に入れたものはどれも、問題のある食べ物ではないからだ。たとえば抹茶のフィナンシェ。数時間前にコンビニで買ったものであり、あんなもので腹を壊していたらこの世では生きていけない。続いて、もらいもののパン。これも昨夜からいくつも食べているため、このタイミングでビンゴとなるはずがない。そして、イチゴ。こちらもつい先ほど近所のスーパーで購入したもので、見た目も味も問題ない。4パックほど食べたが、こんなのは日常茶飯事なので、食べ過ぎの範疇にはとても及ばない。ついでにデコポンを3つ食べたが、こちらも傷んでいる様子はなく、いつも通りジューシーで爽やかな柑橘類であった。
となると、残すはただ一つ――。
私はあんこが嫌いであずきも大嫌いだ。だが先日、青柳正家の羊羹ならば食べられることが発覚した。その他のあんこ類は、においの時点でそれ以上近づくことができない。それでも「もしかすると」と淡い期待を抱きながら、あんこやあずきに挑戦することにしている昨今。
そして今日、近所の高級スーパーで赤飯を購入した。白米以上にモチ米好きの私にとっては、モチ米ならばいくらでも食べられる。ところが赤飯ならあずき、おはぎならあんこが付着しているせいで、今までは洗って食べるしか方法がなかった。だが青柳正家の出現により「食べられるあんこ」が存在することを知ったため、初チャレンジを試みたのだ。
食べた感想としては、モチ米は美味くあずきは邪魔でしかない。あずきの異物感、いや、嫌悪感を紛らわすために、容器にくっ付いていたゴマ塩を振りかけてみる。すると、塩味とゴマの歯ごたえにより、あずきのネガティブな存在感が緩和された気がする。
(なるほど、こういうために赤飯にはゴマ塩がついているのか)
ゴマ塩の威力に脱帽しながら、私はせっせと赤飯をつまんだ。そしてここで一つ、ヒントとなるやもしれぬ行為を思い出す。そう、私は箸を使わずに赤飯を食べていた。つまり素手でダイレクトに赤飯をつまみ、口へと運んでいたのだ。
赤飯おにぎりがコンビニで売られているくらいだから、素手で適当に赤飯を握って食べても大差ない。むしろ素手で食べたほうが食べ物の美味さを引き出せる。おにぎりが必要以上に美味く感じる理由など、それしかないわけで。
とにかく、あずきか原因なのか、はたまた私の指に毒物が付着していたからなのかは分からないが、赤飯を食べた直後に腸が異変を示したのだ。
まさかここまで私とあずきの相性が悪いとは思わなかったが、何が原因だとしてもきっかけはあずきであり、動かしようのない事実。
これでまたしばらくは、あずき(あんこ)と離れた生活を送ることとなりそうだ。
サムネイル by 希鳳
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