牛タンとお嬢様

Pocket

 

(麦飯だけで食うにはやや忍びない。かといって使えるアイテムはとろろくらいしかない。だがとろろのおかわりは有料なわけで、カネをかけずに麦飯を大量に食べる方法といえば、このとろろをうまく使い分けるしかない。果たしてそれができるのだろうか――)

 

目の前では芦屋出身の生粋のお嬢様が、芦屋の豪邸について滔々と語っている。芦屋といってもいわゆるアシヤレーヌが存在するのは、芦屋川駅より山側の地域に住むマダムのことらしい。

友人だって十分お嬢様だが、彼女いわく「私の家はごく普通の家庭」とのこと。だがこれを真に受けたら痛い思いをする。アシヤレーヌの中では「ごく普通」というだけで、一般人からすればとんでもない上流階級なのだから。

「東京で例えるなら、世田谷区とか港区とかかなぁ」

そう呟くお嬢様に、私が尋ねる。

「てことは、決して足立区ではないということね?」

まだ言葉が終わらないうちに、軽やかな笑顔で完全否定。足立区民よ、聞かなかったことにしてくれ。

 

(ねぎしの牛タンは、麦飯との相性はさほど良くない。まったく合わないというわけではないが、焼肉と白米との関係に比べると、そこまで相思相愛ではない。つまり、牛タンは牛タンで味わい、麦飯は麦飯のみ、あるいはとろろをかけていただくことになる)

 

最近、アシヤレーヌのインスタグラマ-が人気らしい。チラッと見たが、私の中でアレはアシヤレーヌではない。どこぞの田舎から大阪へ出てきて、キャバクラで出会った芦屋在住の金持ちとくっ付いただけのよそ者だ。

事実、友人もこう言っている。

「芦屋で生まれ育った人は、わりと真ん中から下に住んでると思う」

もちろん、上のほうに住んでいる人で、生まれも育ちもネイティブのアシヤレーヌは存在するだろう。だが芦屋市の景観に関する条例が厳しいため、それをクリアするには相当の財力が要る。

「家を建てるときは必ず、木を植えなければならないの」

樹木の量も土地の広さによって決まっているらしく、広ければ広いほど、庭の木が増えるのだそう。つまり「家だけ建てよう」なんていうケチな人間は、芦屋には住めないのだ。

最近では、かつての居住者が亡くなり、維持できなくなった土地や建物を手放すケースが見受けられるとのこと。そのため広大な更地が目立つようになった金持ちエリア。芦屋の上のほうで長年住み続けるには、それなりの歴史ある家系でなければ難しいのだろう。

 

(ひとまず、一杯目の麦飯を完食した。大盛りでおかわりをもらおう。とろろも半分以上は残せたので、三杯目も視野に入れて計画的に咀嚼しよう)

 

何年か前に、Trader Joe’s(トレーダージョーズ)のエコバッグが流行ったことがある。現地で買えば2~3ドルの手提げ袋が、メルカリやヤフオクなどで数千円で売られていたのには驚いた。そこまでしてあのエコバッグをぶらさげたいという心理が、私には理解できなかった。

「いかりスーパーっていうのがあって、そこのエコバッグがステータスだった時期がある」

東京でいうところの「紀伊國屋」にあたる高級スーパーが、芦屋でいう「いかり」らしい。そこのエコバッグを提げていることで、一目置かれる存在になれるのだそう。ましてや東京で「いかり」のエコバッグを見てピンとくる人は、関西出身の金持ちの可能性が高い。

「でもよく考えたら単なるスーパーじゃん、て思ってやめた」

芦屋のお嬢様の意地とプライドも、都内ではあまり役に立たなかったようだ。

 

(よし!二杯目を食べ終えた時点で、とろろは三分の一ほど残っている。もう一杯いけるぞ。ついでに味噌漬けのようなオマケもあるから、あれも使えば四杯目が射程圏内だ)

 

「芦屋のすぐ隣りに夙川(しゅくがわ)が流れていて、そこの桜は派手さはないけど、侘び寂びを感じる美しさがあるんだよね」

そう言いながら、満開のソメイヨシノの下で佇む家族写真を見せてくれた。たしかに目黒川の桜のような盛大さはないが、河川敷緑地に整然と並ぶ桜の木々は、静かに見守りつづける上品な温かさがある。

 

(よしよし、順調に三杯目を完食した。もう一杯いけるか?)

 

「あ、もうこんな時間。帰ろっか」

 

お嬢様の帰宅時間に合わせて、私の麦飯もオーダーストップとなった。最終的に漬け物が手つかずだったので、やはり配分さえ間違えなければ、麦飯は大盛り四杯まで平らげることができる。

ここに備忘録として書き記しておこう。

 

Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です