私には面白い友人がたくさんいる。仲がいいからこそ、彼ら彼女らをディスれるわけだが、あれほどポジティブシンキングで生きる人間も珍しい、という一人の友人がいる。今こうして思い出すだけでも、どれもこれもイラっとしたり、開いた口が塞がらなかったりするレベルの逸材。
――アイツは人生の巧者だ、どうやったって楽しい人生しか送れないわけだから。
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その友人は見た目が地味なのに、それを強調するかのような「ハの字まゆ毛」が唯一のチャームポイント。もし何かのトップに例えるならば、普通中の普通ゆえに「フツーの頂点に立つ女」とでも言おうか。
さらに大して喜怒哀楽を示さない顔面は、いつも黄緑色で具合が悪そう。
そんな地味でごく普通の顔を持つ彼女は、なぜか自分のことを「かわいい」と思っている。まぁ、冗談まじりで「アタシかわいい」は、発言としてはあり得るだろう。だがいつどんな時でも、彼女は自分がかわいいと信じて疑わないメンタルを持っているのだ。そこで私は会うたびに、
「全然かわいくないよ」
と、心を鬼にして事実を伝えてきた。しかしそんなありがたい言葉を聞いても、「なに言ってんだ?こいつ」と言わんばかりの不思議顔でこちらを覗き込む始末。現実というものが、まるで響かないのだ。
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人生の半分をファストフード店のアルバイトに費やしてきた友人は、バイトリーダーとしてパートのおばちゃんたちを仕切っていた。
先にも述べたように、見た目が地味ゆえ真面目に見えることがウリともいえる彼女は、サボり癖のあるおばちゃんたちから嫌われていた。
おばちゃんといえばサボるのが仕事。若者に交じって真面目に働くおばちゃんなど、この世にいない。そんな真理も知らずに、ペチャクチャとおしゃべりに花を咲かせるおばちゃんたちの様子を、毎日上司にチクっていたのだ。
当然、上司はおばちゃんたちに注意をするわけで、注意されなかった友人がチクったのだとすぐにバレる。そしておばちゃんたちからどんな意地悪をされようが、持ち前のポジティブシンキングで、
「若くて才能あふれるアタシに、嫉妬してるババァども」
という構図を確立させ、それをバネに満面の笑みで接客をこなしていた。当然そこには
「アタシかわいいし」
がデフォルトで存在していることは、言うまでもない。
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SNSが苦手な友人は、ケータイをよく忘れる。遅刻が得意な私は、彼女と待ち合わせをするのが恐ろしい。とはいえどうせ待たせたところで、
「目の前を通る人が、みんなアタシを見てた」
くらいのコメントしか返ってこないだろうから、さほど気にすることはないのだろうけど。
ケータイの扱いに不慣れな友人は、撮影がとてつもなくヘタクソ。プロのカメラマンを除く一般人で、やたらカシャカシャとボタンを押すタイプの人は、誤解を恐れずにいうと写真撮影がヘタな傾向にある。
そして彼女も例外なく、たくさん撮るわりにどれも全然よくないのだ。とくに、食べ物を美味しそうに撮ろうとすればするほど、営業妨害!と言われそうなほどに、地味で不味そうな画像しか残らない。
なにより不思議なのは、食べ物が美味しそうに見える角度やライティングにまで意識がいかなくても、せめて真ん中に置くことくらいできそうなものだが、なぜか薄暗いはじっこに置いて撮影するのだ。
さらに残念なのが、ピントが背後の壁に合っているため、食べ物がボケている!というオチまで付けてくれるサービスっぷり。
そんな友人には娘がいる。ある時、母親の失態を見るに見かねた娘が、同じ料理を同じ場所で撮影してみせた。そこには十分な光が降り注ぎ、ピントもキチンと料理に絡み、ようやく「主役」として認められた料理が嬉々として写っていた。
「写真がヘタでも生きていけるもん、アタシかわいいし」
そうだな、きっとその通りだ。
私とは見た目もタイプも真逆の友人だが、なぜ私に近寄ってくるのか尋ねたことがある。すると、
「尖ってるように見える人を、愛情で包み込んであげたいの」
と、こちらにとったら衝撃の発言を、顔色一つ変えずに真顔で言い放ったのだ。
とんだ勘違いというか、私が友人に「包み込んでもらいたい」などと思ったことは一度もない。包み込みたいと思うのは勝手だが、「尖ってる」などと言われるのは心外だ。そもそも思春期の高校生じゃあるまいし、いったい何歳だと思ってるんだ!!
だがその「ハの字まゆ毛」を見ると、それ以上対抗する気になれないのが、彼女の強みなのかもしれない。
――改めて念を押すが、友人は全然かわいくない。
サムネイル by 希鳳
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