ーーイサダの踊り食い
なんだイサダって。
だが、潤んだ瞳のおばちゃん(店員)に見つめられれば、イサダをすくわないわけにはいかず、バケツの中でスイスイ泳ぐイサダを網ですくい、茶碗へと放り込んだ。
イサダはカラダがスケルトンの稚魚風で、シラスを少し大きくした感じの体格。茶碗という陸へ打ち上げられたヤツらは正に「まな板の鯉」状態。
ここは赤坂の寿司屋、タイムサービスで「イサダの踊り食い」をやっていた。
口へ運ぶ前にイサダについて調べる。
「イサダ」は三陸地域での呼び名で、和名はツノナシオキアミ。なんと、エビの仲間らしい。
茶碗の中でピョンピョン跳ねるイサダを見つめる。
どう見てもシラス、白く透きとおった稚魚にしか見えない。
(これが、エビ?)
どうすればこんなに飛び跳ねるのか、というほど手も足もないツルツルのカラダで、攻撃的にジャンプをしている。
しかもヤツらの目がデカいので、しょっちゅう目が合う。
(怒っているのか?)
私を威嚇するかのように、口をパクパクしながらこちらを睨む。そして仲間の上によじ登り、全身をバネのようにしならせてジャンプ。
(そこまでして私を攻撃したいのか?)
しかし、わずか2センチ弱のちっぽけな生命体。1分もビチビチ跳ねていれば体力を奪われ死に近づくこと必至。のぞき込む私を睨み返す目ヂカラはあれど、もはや飛び跳ねる元気はない。
茶碗を傾ける。
仲間同士が重なり合うように重力に押されてなだれ込む。まだ体力の残っている数匹がカラダをくねらせ最期の抵抗を見せる。だがやがて力尽きると大人しくなった。
そこへおば、いや、店員がやって来た。
「ポン酢を入れますね」
なんと、瀕死のイサダたちに向かってタプタプとポン酢を注ぎ始めた。
ーーこれはヤツらにとって恵みの雨となるのか、はたまた死の海と化すのか
じっと様子をうかがう私。
するとヤツらは「水を得た魚」という表現ピッタリに、急にビチビチと暴れ出すではないか。
(ポン酢を得たイサダ!)
にわかに信じがたい。なぜなら、ポン酢はそこそこ強力な酸性を示すはずで、このような透明で薄っぺらい表皮の小エビが耐えられるとは思えないからだ。
歯の表面を覆うエナメル質はpH5.5以下で溶けるとされ、ポン酢はpH3程度の酸性。歯を溶かすほどの酸性の海で、こいつらが元気に暴れるなど信じがたい。
(もしや苦しんでいるのか?)
そうだ、生命力あふれる跳躍ではなく、「灯火(ともしび)消えんとして光を増す」を体現しているのかもしれない。
さらに顔を近づけてイサダたちを凝視する。だが、表情というものを持ち合わせていないこいつらの目は爛々(らんらん)と輝き、どう見ても躍動感が伝わってくる。
(もう終わりにしよう・・・)
いい加減、大人げないことはやめよう。ここらですべてを終わらせようではないか。イサダだって好き好んで赤坂の寿司屋へ連れてこられたわけではない。だったら、ひと思いにありがたく頂いてしまおう。
生きたまま小エビを食する贅沢に感謝しつつ、私はイサダを胃袋へと流し込んだ。
そこへふと、先ほどイサダについて調べたスマホの画面が目に留まる。そこには「エビの仲間」の続きがあった。
「養殖魚の餌や、釣り餌として用いられるイサダ。『釣りの撒き餌』としてホームセンターで1キロ数百円で販売されています。」
どうやら私に食べられなかったとしても、どのみち魚に食われる運命だったようだ。
何も考えず「餌」として生涯を閉じるより、このくらい悶々と的外れな思いを巡らせた上で食われた方が、イサダにとっても価値ある一生となっただろう。
しかしコレがエビの仲間とは、本当に意外だ。
*
話はここで終わらなかった。
つい先ほど友人に「イサダ」の画像を見せたところ、
「これは俺の知ってるイサダじゃない」
と、とんでもない発言が。
5分後、ユーチューブのリンクが送られてきた。
タイトルは「シロウオ」。
そして間違いなく、私が撮影した「イサダ」は「シロウオ」とうり二つ、いや、間違いなくシロウオだ。
メニューにも「イサダ」と書いてあった。
おばちゃんも「イサダ」と言った。
しかし、その「イサダ」には手足も体節もヒゲも生えていなかった。
そして「シロウオ」と比較すると、シロウオではない部分が見つからないほどに「シロウオ」ではないか。
ーーあれはイサダじゃない、シロウオだ
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