沖縄での仕事の合間に時間ができたため、糸満市にある平和祈念公園を訪れた。戦争にも平和にも興味のないわたしが、なぜこのようなところを訪れたかというと、ポールというニートの中年の一言がきっかけだった。
「なに、沖縄にいるのか?ならば終焉の地へ行ってこい」
偉そうに命令するな!とムカつきがこみ上げてくるが、そこをなんとかこらえ、仕事仲間にこの話をする。
「わりと近いから行ってみる?」
だれも率先して行きたいとは思っていないが、夜の会食までには時間があるため、暇つぶしに行ってみようかというノリ。
車でおよそ30分、平和祈念公園に到着した。
*
そもそも「終焉の地」なんて場所は、公園内の案内図にも載っていない。まさかポールにやられたのか!と殺意が湧いた瞬間、友人の一人がこう言った。
「Googleマップなら出てくるよ」
さすがはグーグル。早速ナビを開始し公園の奥へと進む。
しかしここは「公園」などという名称では収まりきらないほどの広さだ。そしてよく見ると、ゴルフ場にあるカートがウィーンと音を立てながら巡回している。どうやら公園内の移動に使われる「バス」らしい。
(クソ、あれの存在に気づいていれば最初から乗ったのに!)
だが仲間は誰もそのカートについて触れないため、わたしの願いは儚くも散った。
かれこれ10分、いや15分は歩いただろうか。ほとんどが上り坂で何度もクロックスが脱げそうになるが、これまた誰も坂について触れないため、わたしの愚痴も言わずじまいとなった。
Googleマップを見ると、もはや地球の端っこに近づいている。進行方向にあるのは広大な海。ある意味「終焉の地」と言えそうだが。
そんな冗談を思い浮かべながら、楽しくも悲しくもない気持ちで歩き続ける。すると友人が指をさした。
「あの階段を上ったところにあるらしい」
おぉ、ようやくゴールか。しかし今来た道を引き返すことを考えると、手放しで達成感に浸ることはできないが。
そしていよいよ階段を上りきった終着点には、「黎明之塔」と書かれた石碑が立っていた。沖縄の守備に任じられた第32軍司令官の牛島満(うしじまみつる)大将と、参謀長の長勇(ちょういさむ)中将が祀られているのだそう。
都道府県ごとに戦没者の名前が刻まれた、第32軍司令部戦没者名碑に目を通しながら、「こんな形で後世に自分の名前が残るなどとは、思ってもみなかっただろうな」と複雑な気持ちになる。
まぁここでわたしが何を思おうが、現実的に何が変わるわけでもないので、ただただ手を合わせることくらいしかできなかった。
ところで、肝心の「終焉の地」とやらは一体どこにあるんだ?Googleマップによると、ほぼこの辺りのはずだが、それらしき石碑も案内板も見当たらない。
「ここに階段があるよ」
友人が下り階段を発見した。ひと一人が通れる程度の狭い階段だ。右側には落石防護柵が張られ、野生の草木がそこを伝ってのびのびと葉を広げている。
何歩か降りていくと、左正面に青々と輝く太平洋が現れた。タンカーらしき船も何隻か目視できる。これこそが地球の果て、なんと美しい光景だろう――。
そして階段を降り切ったところには、なんともみすぼらしい、なんの手入れもされていない小さな洞窟というか壕が待っていた。入り口は古い鉄柵により、中へは入れないようになっている。さらに2メートルほど手前にも新しい鉄柵が設置されており、壕の中を覗くことすらできない。
二つのフェンスの間には、長年雨風にさらされ文字すらはっきりしない小さな石碑が立っている。
「第三十二軍司令部終焉之地」
読みにくいがたしかにそう書いてある。その隣りには、これまた顔もハッキリ分からない地蔵菩薩が置かれている。
――あまりにショッキングな光景だった。ここは、牛島司令官と長参謀長が自決した場所。日本のために戦ってくれた、という言い方は好きではないので使いたくないが、最後まで任務をまっとうした大将と中将の最期の地にもかかわらず、この廃墟感は一体どいうことだ。
公園内の案内図にも記されず、狭い階段を下った先にひっそりと佇む小さな壕。軍司令部ということは、ここを拠点に軍団の指揮統率を図ったであろう重要な場所。そして壕から見える景色は、バカみたいに果てしなく広がる青い海のみ。一歩外に出て、断崖絶壁から見下ろす景色は生い茂る草木しかない。
こんな絶望を具現化したかのような祠(ほこら)にこもり、同じく絶望的な日本軍の状況をひしひしと感じながら、牛島や長たちは何を考えていたのだろう。
屈んで歩かなければならない真っ暗な壕の中で、責任の取り方として「自決」の二文字しか与えられない彼らは、この美しい海を見て何を想ったのだろう。
人間の最期の場所、かつ、役職としての責任の取り方が「死」である人たちの最期の場所を、今の人間が知らなくてもいいのだろうか。断崖絶壁に追い込まれた二人の男の死を、我々は知るべきではないのだろうか。
私は今日、ここへ来てこの壕と対峙して、命を自ら絶つという妙に無味乾燥な感覚を覚えた。それだけでも十分な価値があった。
*
観光地としてあまりに重苦しい雰囲気は、地元民としてはノーサンキュー。だがそこにしかない最期があるのならば、むしろ立派な石碑やモニュメントよりも、伝えなければならない歴史的事実といえる。
わたしたちはどこか「臭い物に蓋をする」気質がある。見て見ぬふりをしたり、平等であることを盾に結果として差別をしたり、そうやって核心を突かないようにやりすごす傾向にある。
もっとリアルに怖いこと、恐ろしいこと、切ないことに触れてみろ。そのうえで、自分の頭で考えろ。
――という声が、聞こえたような聞こえないような。
サムネイル by 希鳳
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