(ん、ここは何かあるぞ)
わたしの特殊能力が発動した。田舎や過疎地域へ行くと、そこに住む人々がどのような仕事で生計を立てているのか、勝手に想像し勝手に心配するのが趣味でもあるわたし。
そのほとんどが「農家じゃないか?」という結論で終わるのだが、稀にちょっと異質、いや妖艶なオーラを放つ田舎に遭遇することがある。
そして今日、ある不自然な魅力を感じる田舎と出会った。
*
関東のとある山奥。ぽつぽつと疎らに建てられた家屋は、どれも築50年超と思われる。屋根の中央が、雪の重みか老朽化か分からないがしなっている。とくに瓦屋根の家はいまにもつぶれそうなほど、一階部分の柱や壁が苦しそうに支えている。
そんな自然あふれる寂しい田舎の風景で、どうしても見過ごせない異質な白さが飛び込んできた。
ガードレールだ。
ガードレールが白いのは当たり前。だがこの町だか村だかにふさわしいガードレールは、薄汚れてところどころペンキが剥がれた灰色のはず。それが新雪が反射するかのような、まぶしい銀白色のガードレールが突如現れたのだ。
まるで天国へと続くワインディングロードは、くすんだ田舎に場違いな明るさを落としている。
(これはおかしい)
こういう場合、必ず裏がある。よく見ると、こんな過疎地にもかかわらず道路が片側2車線あり、アスファルト舗装は最新技術が施されている。向かいの橋など上部構造がやけにシャレている。
(この田舎にあんなシャレたデザインは必要か?)
周辺の看板やフェンスもことごとく新しく、フォルムやカラーが美しい。その先にはやたら広くて立派な遊具が設置された公園があるが、人っ子一人見当たらない。さらに都内顔負けの体育館はピカピカのデザイナーズジム。もちろん時間的なものもあるが、人の気配はなく静寂に包まれている。
こんなにも整備された美しいド田舎、ありえないーー。
そしてわたしは確信した。ここには原発かダムがある、と。
これまでの経験則からいくと、ド田舎にもかかわらず公共施設や道路が見事に整備されている地域は、電源立地地域対策交付金(電源三法交付金、いわゆる原発マネー)か、国有資産等所在市町村交付金(ダム交付金など)の交付を受けている場合が多い。
どことなく不釣り合いな真新しさがあるため、わりとすぐに気付く。そしてここにも何かがあるはずーー。グーグルマップを開くとすぐに答えが出た。
(そうだ、かの有名なダムのある町だ!)
どうりでグラウンドやテニスコートが新しいうえに、広大な敷地面積を誇るわけだ。公園や幼稚園の遊具もやたらと近代的で未来感あふれる。どれもこれも潤沢なダム交付金のおかげであり、この町に住む人々も満足していることだろう。
ふと道路の左側に見える水流を伝うと、まるで滑り台のような一本の道が現れた。ーーそう、湖の中から。
その瞬間、切なさというか苦々しさというか、何とも言えない湿った感情が込み上げてきた。
かつて温泉街としてにぎわった470世帯の家屋は、今や湖底で眠っている。その犠牲ともいえる移転があったからこそ、多くの地域が洪水のリスクを回避できるようになったし、ダム交付金のおかげで豊かな町づくりが可能となった。
ダム建設計画から完成までの70年もの間、幾度となくトラブルに見舞われ、その度に交渉や対応を繰り返してきたことだろう。そしてダム完成を待たずして、この世を去った人も大勢いるだろう。
そんなかつての名残りである「半分は集落で半分は湖」という、ジオラマのような嘘っぽい景色を眺めながら、ダムに消えた村を静かに通過した。
*
やはり違和感に理由はつきもの。ド田舎に最新設備など、理由がなければ存在するはずがない。新たな発見とともに、再度考えさせられる現実を突き付けられた気分だ。
あぁ、そのせいなのか。遥か彼方まで続く純白のガードレールが、どうも脳裏から離れない。
サムネイル by 希鳳
私の母の実家かあった地域がまさにダムに沈んだ村だよ。
どんなボロくて小さな家でも、立ち退きに当たって1億とか2億補償金をもらったんだけど、ほとんどの家が補修金を使い果たしたり、むしろ、税制上の優遇期間が過ぎて固定資産税が払えなくて家を売却せざるを得なくなったり、色んな話があるよ。
そうだったんだ、貴重な話をありがとう。
八ッ場ダムに沈んだ村、800年続く温泉街だったらし。源頼朝が温泉に入るときに脱いだ服をひっかけておいた岩ってのが、飾ってあった笑。
でも、住んでいた土地は高く買い取ってもらったけど、移転先として与えられた場所に新たな家を建てるにあたり、相場以上の高い金額を提示されたらしい。しかもその理由や値引きには応じてもらえず。だから「ダム御殿」とか嫌味を言われるけど、実際は二束三文だったと。
ダムに沈んだ集落には、多かれ少なかれ悲劇はつきものなんだろうね。