敗金主義者

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なんでもかんでも「カネ」に絡めて話をされると、とにかくイラっとくる。いわゆる「拝金至上主義者」の、カネでしかモノの価値を測れない視野の狭さにウンザリするのだ。

 

たしかに、カネはないよりもあったほうがいい。

たとえば、移動手段として電車ではなくタクシーが使えたり、飛行機ではビジネスクラス、新幹線ではグランクラスを利用することで、移動時間を快適に過ごしたりできるだろう。

また、住まいや生活習慣が変わることで、今よりも実現可能な出来事も増えるだろう。

極論としては、余命宣告された命が海外で手術を受けることで、何十年も人生を謳歌することができたり――。

 

そういう意味ではカネは無意味ではないし、あって困るものでもない。

いや、カネのせいでトラブルや事件が起きることもあるから「あって困るものではない」とは言い切れないが、一般的には、ないよりもあったほうがいい類のものだろう。

 

だがわたしは、――これは年をとったせいかもしれないが――、相手からカネをもらうことよりも、相手がわたしを通して喜んでくれることのほうが、よっぽど価値があると思うのだ。

 

 

「相談にのってもらいたいことがあって・・・」

そんなメッセージが届くと、こちらもギクッとせずにはいられない。最悪の事態を想定し、身を正して次のメッセージを待つわたし。すると、WordとExcelのファイルが送られてきた。

「これらを作らないといけなくて。でも私、こういうの弱いから・・」

一芸に秀でた人間にありがちな「苦手分野」というやつである。かくいうわたしも、WordやExcelを使いこなせるわけではないので、あくまで基本的な操作しかできない。だがそれだけでも、手助けできるのならば喜んでサポートしようじゃないか。

 

というわけで、書類作成に必要な情報を聞き出すとササっと完成させた。時間にしてほんの5分程度の作業である。

無論、必要な情報を共有してもらうことこそが重要で、それが入手できなければ何時間もかかるのは言うまでもないが、それらの協力さえあれば簡単な内容だった。

「本当にありがとう!悩みが一つ消えて、すごく楽になった!」

そう言って喜ぶ友人を見ると、こちらの経験値も少し上がったのではないか!?と嬉しい気分になる。

 

ちなみに、これでカネなどもらったらすべてが台無しである。友人へのサポートは、対価ありきの労働などではなく、あくまで自発的な行為であり、いうなれば「趣味の延長」のようなものだからだ。

 

 

「SNSの投稿が楽しくなったよ、ありがとう!」

別の友人からこんなメッセージが届いた。

インスタグラムの「ストーリーズ」と「投稿」との使い分けについて、友人から質問を受けたわたしは、個人的な考えを伝えたことがある。

それまでは、いわゆるマニュアル的な説明を見聞きしていた様子だが、いまいちピンっとこなかったのだろう。さらに、他のSNSへのリンクの貼り方なども助言したところ、すぐさまきれいな配置で投稿されていた。

 

この手のタイプは、自身の肌感覚で掴めればいくらでも使いこなせるのだ。そして、小難しい文字情報よりも事例を挙げながら伝えることで、彼の能力は開花した。

「年齢のせいにはできないね」

そうはにかむ友人は、還暦目前のオジサンである。ところが、持ち前のバイタリティーと鋭い洞察力は、一般人にはありえない迅速な判断を下し、さらに、無類のアイデア巧者であることを示している。

ただしSNSに関しては、若干の苦手意識を抱いているようだった。しかしそれは年齢のせいではない。感覚として理解できれば、いくらでも使いこなすことのできるレベルだからだ。

 

その結果、オジサンは若者顔負けの見事なインスタグラマー(?)となったのである。

 

 

「こんな風に、困っている友人を手助けするわたしは偉い!」

などと言いたいのではない。ではなぜ、友人を手助けすることに喜びを感じるのかといえば、

「物事の可能性が無駄に潰されるのを、黙って見過ごすことができないから」

である。「ここさえ突破できれば」「ここだけ直せば」・・・人間がぶち当たる困難のほとんどは、見方にもよるが、所詮この程度のちょっとした躓(つまづ)きなのだ。当人にとってはとてつもなく高い壁かもしれないが、そう思わない人にとっては「なんだ、こんな簡単なこと」となるのだ。

 

そして往々にして、誰もがジェネラリストではないが、ある分野におけるスペシャリストであることが多い。

「こんなことができても、一円の儲けにもならない」と卑下するかもしれないが、それこそが「ものの価値はカネにあらず」の典型である。

 

先日、リュックのファスナーに衣服が挟まってしまい、どうにもファスナーが動かないので衣服を切り裂いてしまおうとしたところ、その場にいた友人にリュックを奪われた。

母親のスカーフがバッグのファスナーに挟まっていたのを、見事に外した経験が彼女にはあるのだそう。そして、周りの誰もが「こりゃ無理だ!」と匙を投げるほど、ガッチリと食い込んでいたわたしのリュックのファスナーから、彼女は必死に生地を取り除いてくれたのだ。

「取れたよ!」

顔を赤らめながら、誇らしげにリュックと衣服を差し出す友人。そんな彼女に、わたしは心の底から感謝を述べた。

 

もしもこのことを、カネで解決などしたら彼女に対して失礼にあたる。だからこそ、ありったけの感謝を伝えたのだ。

 

 

「ここの料理、高いから美味しいんだよ」

「あの人は給料が高いから、偉いんだよ」

これらの理屈もあながち間違ってはいないだろう。だが、本当の美味しさや尊敬というのは、金額などでは測れない。

そんなことも知らない拝金主義者こそ、真の貧乏人だろう。

 

Illustrated by 希鳳

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2件のコメント

共感しかないです。
個人事業主やってると金金言ってくる人もいたりして、そういう人とはお仕事しないようにしました。
まぁ商売だと金金が大事なこともあるとは思うんですけどニガテです💦

改めて…いつも相談のってもらってありがとうございます!!


こちらこそ、色々助けてもらって感謝しとりますわ😁また映画行こうな。あ、オススメ映画あるよ「レットイットビー〜怖いものは、やはり怖い〜」www

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