とりあえず分かったことは、和太鼓の達人は汗をかかないということ。
お弟子さんたちは露出度高めの上半身であるのに対し、師匠である達人は長袖の着物に袴という衣装。にもかかわらず、演奏後すぐにマイクを渡されても呼吸一つ乱さず受け答えをしている。
そして全メンバーが、汗をボタボタ垂らしながら必死に次の曲の準備に入るのに対し、達人だけは涼しい表情で爽やかな笑顔を見せていた。
ーー無駄な力は使わない。これぞ和太鼓の達人ということか。
演奏以外で学んだ太鼓雑学はコレだった。
*
和太鼓奏者の友人がいる。ヤマハ(仮名)は、友人であり顧問先で働く仲間でもある。
ある日、ヤマハの働き方について社長から相談を受けた。
「太鼓の練習もしっかりさせたいし、会社として応援もしたい。思い切って彼女に新店舗の店長を任せようと思う」
労働者である以上、勤務シフトに縛られるし給与に色をつけることも難しい。そこで社長とヤマハが話し合った結果、労働者ではなく個人事業主となり、新店舗を彼女が運営することで合意したのだ。
個人事業主として店を任された以上、しっかりと売上げを立てなければならない。これまでとは比べものにならないほどの責任とプレッシャーだ。それでもヤマハは「太鼓の時間を確保しつつ、店舗管理もこなす」という、二足のわらじ生活をスタートさせた。
そんな矢先にコロナに見舞われる。ヤマハの太鼓チームの公演はすべて白紙となり、練習で太鼓に触れることすらできない日々が続いた。それでもヤマハは腐らず店の切り盛りに精を出しながら、太鼓の演奏を披露できる日を心待ちにしていた。
その日こそが、今日だったのだ。
*
宝塚ファンがお目当ての舞台を待つほどのワクワク感はない。太鼓の演奏なんて聞いたこともないし、あったとしてもお祭りか運動会くらいだろう。
それでもヤマハが、
「とにかく一度、生の演奏を聴きに来てください!」
とキラキラの瞳で言うものだから、その勢いに押されたというのが正直なところ。まぁ一回くらい付き合いで行くのも悪くはないだろう、ということで、太鼓集団天邪鬼35周年記念公演へと向かった。
ドンドコドコドコ、ドンドコドコドコドコ・・・
いよいよ開演。太鼓たちから飛んでくる振動というか圧力というか、音ではなく「空気」がビンビン突き刺さる。しかもここはコンサートホールゆえ、なおさら正確に反響し力強く伝わってくる。
ーーこれはさすがに、YouTubeでは伝わらないわ。
ヤマハの太鼓チームはYouTubeチャンネルを持っており、私は予習を兼ねて何曲かおさらいしてきた。だがそんなものは何の役にも立たなかった。
なんというか現実を突き付けられた感覚だ。テレビ画面がリアルよりリアルな色彩をつくり出すかのように、音もそれなりに改良されて本物より本物の音色を届ける日が来るのかもしれない。
しかし太鼓を打つたびに正面からぶつかってくる衝撃波は、さすがにテレビ画面からは無理だ。そしてこれこそが太鼓の醍醐味というやつではないかと、素人ながらに圧倒される。
太鼓は種類によって音の高さや大きさ、太さ、響きが違う。いや、むしろ同じ太鼓でも打つ場所によって音色も音程も違う。もしかすると客席の位置によっても聞こえ方が異なるのかもしれない。
たとえばピアノやバイオリン、クラリネット、トランペットといった音程のある楽器に対して、太鼓でドレミファソラシドは無理とは言わないが難しい。だから「どうせつまらないだろう」と高をくくっていた私。
そして演奏が始まり10秒で、この考えがまったくの誤りだと気づいた。
太鼓の曲と言われてもピンとこない人がほとんどだろう。少なくとも私は想像すらつかなかった。「他の楽器でメロディーが流れて、そこにリズムを付けるために太鼓が登場する」くらいのイメージしかなかったからだ。
ところが、太鼓だけの演奏で十分に「曲」が完成し、一度聞けば覚えてしまうほどのメロディーラインに近いフレーズが存在する。
演奏途中に周りをチラ見すると、どうやら何度も公演に訪れていると思われるファンたちが、首を縦に振りながらノッている。さらに驚くべきことに、多くの外国人が目を輝かせながら演奏に聞き入っている。
たしかにこれほど大きな打楽器というのは、和太鼓以外には珍しいのかもしれない。本日のボス級は直径1メートルを超える太鼓だったが、中には直径2メートルの化け物級も存在するらしい。
オーケストラで使うティンパニやタムタムもかなり大きいが、それらだけを何台も集めてコンサートというのは聞いたことがない。その点和太鼓は、大きさは違えど和太鼓の仲間を5~10体ほど従えて演奏会が成立するわけで、音量や振動から伝わる躍動感に外国人もメロメロなのかもしれない。
なんというか、体の芯までビリビリ浸透してくる「強烈なドリリング」がとにかく圧巻。これらを楽しむのが和太鼓だとしたら、これは現地参戦しない限り味わえない感覚といえる。
まるで何かのリハビリかデトックスのように、強制的に体軸を揺さぶるバイブレーションが体温を上昇させる。耳で聞くというより、丹田(腹)で受け止めるという感じか。
とにかく和太鼓は、画面越しに楽しむものじゃない。画面を通じて曲のおさらい(ヘッドバンキングの練習)をする分には構わないが、あの振動と圧を体感することに価値があるのだから、目の前で拝まなければならない。
・・・と、和太鼓の達人の弟子の友人である私は、初めて和太鼓の演奏を聞いたにもかかわらず、偉そうに講釈を垂れるのであった。
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