今日は柔術の試合があった。
初戦敗退のわたしは、すごすごと荷物が置いてある場所へと戻る。
すると、近くにいた別のジムの友人に声をかけられた。
「おー、久しぶり。試合おわったの?」
道着は乱れ、ボタボタと滴り落ちる汗を拭いながらも、私はハッキリと、
「いえ、これからです!」
と言い放った。
すると別の友人がそれを聞きつけて、
「負けたんですよ、見てのとおり」
と、ポンポン肩を叩きながら事実を伝えてしまった。
「ま、まだ無差別あるんで!」
そんな悔し紛れの言い訳で噛みつくわたし。するとその友人が、
「でも面白さでは圧勝だから、大丈夫!」
と、フォローしてくれた。
そういえばわたしは、同じジムのメンバーである、9頭身のハーフ美女・サエ(仮名)に対して、
「大丈夫、美人度合いで圧勝してるから!」
と、日頃からよくわからない太鼓判を押している。
サエは事実、美女で若くて語学も堪能。細く長い手足にグラマラスなボディーが光る。
「試合に負けちゃって・・・」
「大丈夫!サエは美人だから、そこで圧勝してるから気にするな!」
すると素直なサエは、はにかみながら小声で
「ありがとうございます」
と答える。なんともしおらしくて可愛い。
この、
「試合に負けても別の部分で勝ってる!」
というよく分からない論点のすり替えは、「美人」だから成立するのであって、「面白い」じゃ成立しない。
他にも、「金持ちだから」「賢いから」「性格がいいから」なども採用できない。
なぜか美人のときだけ、試合の負けがチャラになるという不思議。
とにかくわたしは、
「試合に負けても、面白さで勝ってる!」
と褒められたのだが、どうも腑に落ちないまま会話は終わった。
やはり美人というのには、かなわない。
*
試合後、会場近くの横浜中華街へ立ち寄った。
中華街の名物は色々あるが、今どきのイチオシはなんと、イチゴ飴だ。
長い竹串に冷凍イチゴが4~5個ほどブッ刺してあり、表面を飴でコーティングしたのがイチゴ飴。
それが10本も20本も並んで刺さっていると、まるでお祭りのようで美しい。
そして確実に映(バ)える。
真っ赤なイチゴが飴のコーティングでツヤツヤ輝く。中華街のカラフルな照明を受けて、さらに妖艶な魅力を放つ。
そんな画像をSNSにあげたら、速攻でいいねがつくだろう。
こうしていたる所で老若男女がイチゴ飴をペロペロ、いや、ガリガリしているのだ。
さらにもう一つ、やたらとよく見る看板がある。それは「手相」とか「占い」の文字だ。
想像だが、時短営業を強いられないこれらの業種へ、コロナを機に飲食店が乗り換えたのではなかろうか。
「手相タロット四柱推命、なんでもあるよ〜」
客引きのほとんどが占い系の店。それがイチゴ飴の店の隣りで声をかけてくるものだから、ならば飴をかじりながら占ってもらおうか、となるのか。
中華街はそもそも風水を意識して作られたため、街全体がパワースポットともいわれる。
なかでも、「横浜関帝廟(関羽廟)」と「横浜媽祖廟」は有名な祠として知られており、多くの参拝客が訪れる。
よって、どうせならパワースポットで占ってもらおうという気持ちは分からなくもない。
しかし中国人というのはたくましい。嫌味ではなく本心だ。
飲食店が集中砲火を受け、日本中がしょぼんとしているところへきて、中国人は見事な業態転換をやってみせたのだから。
中国北部で冬に人気のスイーツ「糖葫蘆(タンフールー)」が、イチゴ飴の元祖らしい。
それが昨年辺りから急に、SNSを通じて流行り出した。
そして今では、中華街の名物として堂々と売り出されている。
さらに飲食の規制に引っかからない「占い」を強化する姿勢も、見習わなければならない。
使えるものは何でも使う。
このマインドは、苦境に立たされた時こそ大切で必要な発想だからだ。
ーー使えるものは何でも使う。
面白さが有効に機能するならば、試合で面白さを発揮するのも一つの方法かもしれないな。
そんなことを考えていると、中国人の客引きからこう声をかけられた。
「おねえさん、人相見るよ〜」
人相ってなんだよ。なぜ手相とか四柱推命じゃないんだよ。なんとなく失礼な!
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