ごく普通の日常の一コマ

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ーーお天道様に当たりながら、お濃茶でもすすってのんびり過ごそうかねぇ。

 

本日のわたしの心境はこうだ。詫び寂びだの、命の儚さだの、そういった言葉が心の琴線に触れるというか。

人間とはもろい生き物で、怪我や病気をするとすぐに心が弱り、競争心といった推進力は消失してしまう。

 

たとえば駅の構内をノロノロと歩いていると、大勢の乗降客らに追い越される。中にはぶつかってくる人もいる。

それでもこれ以上早く歩くことのできないわたしは、仏の顔でその人たちの背中を見送る。

 

ーーせいぜい生き急ぐがいい。

 

人生を達観しつつある修行僧の眼差しで、現代人らが生き急ぐ様を眺める。数日前まで自分がそうであったことなど、微塵も思い出さずに。

 

 

あばら(正確には肋軟骨)を折ると、なにかと不便だ。痛いから寝てしまおう、ができないのだ。

横になると激痛が走るため、座っていなければならない。ぐっすり眠ることができず、結果、睡眠不足に陥る。

しかし朝は来るし仕事は湧いてくるし夜は来る。

 

そんなこんなで減らず口を叩く元気もなく、デカい態度も影を潜めている。今のわたしはまるで菩薩のように、すべてを優しさで包み込み許すであろう。

 

 

賢いことを鼻にかけ、知識でマウントをとる友人がいる。その友人が珍しく分かりやすい言葉で説明してくれたことに驚いた。

 

わたしが、

「ロイヤリティってなに?」

と友人に尋ねる。わたしの知ってるロイヤリティは、フランチャイジーがフランチャイザーに支払う権利使用料のような金銭を指す言葉。

しかし文脈上、これでは意味が通じない文章があり、そこでのロイヤリティという言葉の意味について質問したのだ。

 

普段なら、

「忠実、誠実、信頼や愛着の度合いを指す言葉だ」

とかなんとか小難しい言葉を並べて圧倒するはず。それがわたしにとっては意味不明で、まるで呪文にしか聞こえないにもかかわらず。

 

ところが珍しいことに本日は、

「お店大好きという気持ち」

と、非常に分かりやすい言葉で簡潔に説明するではないか。

おまえ、やればできるんだから普段からそうしろよ、と内心思ったが、感謝だけ述べて会話を終わらせた。

 

もしこれが「わたしが弱っているがための配慮」ならば、未来永劫そうしてもらいたいものだ。

 

 

火曜日は恒例のピアノレッスンの日。

あばらをヤッたわけで、ピアノなど弾けないものと思い込んでいたわたしは、レッスン当日まで鍵盤には触れず、骨に負担をかけないよう温存していた。

しかし根が真面目なわたしは、念のため音を出してみることにした。

 

ーー痛いはずだ、ぜったいに。

そう思いながら恐る恐る音階を弾いてみる。恐ろしいことに弾けるではないか。

ーーデカい音を出せば痛いはずだ、ぜったいに。

和音をジャーンと弾いてみる。マズイ、弾けるではないか。

 

焦るわたしはとりあえず本日の課題曲を漁る。

途中、右手で左側の鍵盤を弾く時などは、さすがにあばらに響いて痛い。しかし尻を浮かせて体全体で左に移動すれば、それもクリアできる。

鍵盤の両端を引く時、つまり腕が胴体から離れる時に痛みを感じるのだが、そんな時も尻を軽く持ち上げて空気椅子の状態で弾くことによって、痛みが緩和されることが分かった。

 

ーー人間てうまくできてるんだな。

 

ちょっと感心する。

おっと、レッスンの時間だ。もはや電車で向かう余裕はない、タクシーだ。

 

急いで家を飛び出ると、いや、ゆっくり家を抜け出ると、和泉元彌風にそろりそろりと大通りへ向かう。

その間、自転車に抜かれ人間に抜かれ、極めつけは老犬のチワワにまで抜かれ、わたしはこの世で最弱で最遅であることを強く認識させられた。

 

タクシーを捕まえると、そっと乗車。ここまでくればこっちのもんだ。

ホッとしたのもつかの間、スピードに任せて90度右折するタクシーの遠心力に、わたしのあばらが逝った。

「ギャァァ」

 

驚いた運転手が急ブレーキを踏む。

「大丈夫ですか?!」

その反動でまたもやあばらに重力がかかる。もはや声も出ない。

 

正面のモニターにおでこをぶつけてぐったりとうなだれるわたしは、黙って正面を指さし「とにかく行ってくれ」と念を送った。

 

 

体の中央部分というのは、普段あまり意識しないが割と重要な役割を担っているのだと、怪我をして気づく。

 

たとえ怪我が治っても、驕(おご)り高ぶらず謙虚に質素に生きていこうと、今は強く思うのであった。

 

 

Illustrated by 希鳳

 

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