「アイシテル」

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SNSの可能性というものを目の当りにした。そこから派生する人間の心理にも触れた。

感情に素直であることは、すなわち「若さ」だと思う。

 

 

「失敗」をしたとき、もっとも痛い失敗はなんだろう。仕事のミス?親や友人との衝突?

いや、老若男女問わず「失恋」こそが、何よりも心乱され狼狽するもっとも痛い失敗ではないだろうか。

 

人と距離を置く私は、いざというときの「掃き溜め」にうってつけ。

 

音信不通だった友人から突如、連絡がくる。

「久しぶり」

こういうパターンは本当に久々の再会を願っているわけではない。私に聞いてもらいたい話があるのだ。その証拠に話を進めると、悩みや愚痴が現れる。

「じゃ、あさって16時ね」

悩める友人の愚痴を聞くために、私はあさって16時にカフェへ向かう。

 

こんなとき、毎度思う。

遠くの親類より近くの他人」ではないが、あまりに自分を知りすぎている友人には本音を吐けないことがある。そのため、そこそこ距離のある友人のほうが赤裸々に話せるゆえに「救われる」のだと。

しかも相談者は「自らを受け入れてくれる人」を選ぶため、自分よりも年長者が好都合。プラスして、男でも女でもどちら側の意見も聞き入れる私は、掃き溜めランク上位の適性を持つのだろう。

 

私にとって、誰のどんな愚痴であっても興味深く、そのほとんどが懐かしさを甦らせる。

仕事に関する悩みは、本人の中で方向性が決まっている場合が多く、あとはそれを探り当てて後押しすればいい。否定や不安はどれも土台を確固たるものに仕上げるための押し問答に過ぎない。気のすむまでネガティブな発言を引き出し、空っぽになったらそこからがスタートとなる。

 

だがやっかいなのは恋愛相談。

こればかりは自分の意志や行動だけでは解決できず、相手なくしては成果に結びつかない。時には方向転換、つまり諦める勇気も必要。

さらに失恋から日が浅いと、本人の気持ちを浮上させたくても如何せん時間が足りない。よって、ただひたすら時が過ぎるのを祈るのみだったりもする。

 

 

友人の彼氏、いや元カレから突如SNSで友達申請があった。

ーーキタか

その元カレと会ったことはないが、友人のSNSに登場する私の存在を彼は知っていた。そして私なら友人(元カノ)の本音を知っており、客観的にベストなアドバイスがもらえるはず。あわよくば関係修復の橋渡しをしてくれるのではないか、と闇夜の提灯として期待したのかもしれない。

 

このSNSの使い方は秀逸で、私も彼もお互いを知らないが、共通の人間を通してお互いを割と正確に把握している。名前も容姿も趣味も職業も一言も伝えていないが、SNSの投稿からすでに伝わっているからだ。

共通の友人という「担保」とSNSに投稿された画像やコメントなどから、ほぼリアルな本人像が浮かび上がり認識されている。画像加工や盛ったコメントも含め、隠すことなく「その人らしさ」が現れるあたり、作り込んだ自己紹介などはるかに上回る「確かな人間性」が伝わる。

これぞSNSが持つ優れた特徴だ。

 

今回のアクションに対して、複雑だが面白いと感じたことがある。

それは、私も「いずれ来るだろうな」と思っていたことだ。予想より早く動きがあったため、なるほどとほくそ笑んでしまったが。

 

確かに先日、私は元カノと会っている。これまでの苦労や我慢してきたこと、納得のいかない彼の行動・言動について、ポロポロ涙をこぼしながら必死に訴えてくれた。

ただ、これは彼女側からの意見であり、これだけが事実だとも思わない。

 

そしていよいよ真打ち登場だ。

 

 

リモートワークが主流の昨今、感情に委ねる大切な言葉は逆に直接伝えたいと思うようになった。

「愛してる」

という文字を画面越しで見るのと、耳元15センチで囁かれるのと、決して同じ価値ではないだろう。

 

その上で、感情に素直でいることはすなわち「若さ」だ。

 

今は今しかない。

どうせなら素直に砕け散ろうではないか。粉々に壊れたなら、再び作り上げるだけのことだから。

 

 

Illustrated by 希鳳

 

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