笑顔で故人に触れるのが、接客業としてあるべき姿なのだろうか

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社会生活を送るにあたり、「決め事を守る」というのは言うまでもなく重要なことだ。われわれ人間は、最低限の秩序を保つためにも、合理的で社会通念上相当と思われるマナーやエチケット、ルールを設けてその範囲内で行動しているのだから。

だが、そこに当事者本人の意思や感情が介入する余地もなく、マニュアル通りの行動や対応しかできないのであれば、そんなルールはない方がいい。もしくは、人間である必要はないのである。

 

 

11年を共に過ごした3Gのガラケーを、4Gのフィーチャーフォンに変えるべく、わたしは某キャリアショップを訪れた。なぜわざわざ店舗へ出向いたのかというと、オンラインショップで機種変更の手続きができなかったからだ。

あらかじめ来店予約をしたが、予想以上に予約可能枠は少なかった。現に今も窓口はすべて埋まっているわけで、携帯電話のニーズの高さがうかがえる。

とはいえ、来店者全員が携帯電話の購入や機種変更というわけではない。なかには「スマホ教室」のように、スマートフォンの使い方を学ぶ者もいる様子。いずれにせよ、老若男女問わず携帯電話が生活の一部となっているのである。

 

「いらっしゃいませ、こちらへどうぞ!」

可愛らしい女性店員に誘導され、カウンター席に腰を下ろす。隣りの席には高齢の男性が座っており、すでに何かの手続きを進めていた。

聞き耳を立てるつもりはなかったのだが、ハツラツとした男性店員の声が無意識に聞こえてくるため、この老人がなんの手続きをしているのかが分かってしまった。どうやら、死亡した妻の携帯電話解約のために来店した様子。

しかし、店員と老人の会話はなぜか違和感を覚えるものだった。笑顔でハキハキと説明を続ける店員と、うつむき加減でその内容に頷く老人——。

そう、妻を亡くした彼に対して、満面の笑みで対応をする店員に違和感を覚えたのだ。

 

「そうですね、こちらに亡くなられた日付をご記入いただき・・」

「あとは奥様がお持ちだったカードと一緒に・・」

老人の左手には、結婚指輪が静かに光っている。最愛の妻の死について、いくらマニュアル通りとはいえ笑顔でハツラツと話すのはいかがなものか。

男性店員は、顧客対応として完璧な受け答えを実行しているのだろう。だが、その内容について配慮はしていない。時に笑い声まで聞こえてくるが、他人の死を笑顔で話せる神経というのは、わたしには理解できない。

 

接客業のあるべき姿とは、相手の気持ちを慮(おもんぱか)ることではないのだろうか。

 

 

しばらくして、わたし自身の機種変更手続きに入った。担当は若くて可愛らしい東南アジアの女性だった。とはいえ、マスクで顔のほとんどを覆っているため、「可愛らしさ」は雰囲気から感じるものでしかないのだが、性格の良さが滲み出ており好感がもてる。

「・・・でよろしいでしょうか?」

前半部分が聞き取れなかった。流暢な日本語であり、理解度も高いのは間違いない。だが、外国人特有の発音のクセが邪魔をして、細かな単語が聞き取りにくいのだ。

彼女とわたしの間には、分厚いアクリル板がそびえ立っている。さらに彼女の口元はマスクで覆われているため、くちびるの動きで言葉を読み取ることができない。せめてマスクを外してくれたら——。

 

その後もやり取りを続けるが、やはり小鳥のさえずりのような彼女の声としゃべり方は、若干聞き取りにくい箇所がある。そのたびに笑顔で聞き返すのも申し訳なく感じたわたしは、

「もしよかったら、(アクリル板もあるし)マスク外して話してもらってもいいですか?」

と提案してみた。すると彼女は困ったような表情で、

「申し訳ございません。お客様へのマナーとして、マスク着用が義務付けられておりまして・・」

と答えた。

 

・・なにがマナーだ。キミの仕事は来店客に契約の説明をし、合意を得た上で締結することではないのか?

外国人だからと差別をしているのではなく、話し方や声質によっては、くちびるの動きと合わせて言葉を理解することもある。とくに英語を話すときなど、わたしにとって相手の口の動きは重要なヒントとなるため、言葉を発する部分が見えないことは理解を遅らせることに繋がるのだ。

 

だとしたら、なんのためのアクリル板なのだろうか。店員と顧客の間に、どれほど分厚い障壁を設ければ安心できるというのか。さらには、それこそが真のサービスであり、求められる顧客対応だと思っているのだろうか。

商品説明や契約内容を正しく伝えることができず(あるいは、伝えにくい状態を継続し)、顧客に対してストレスを与えていることにすら気が付かないとは、天下の大手キャリアが聞いてあきれる。

 

わたしを担当した彼女に罪はないが、企業の方針としてなんでもルール通りに押し込めたいのならば、「状況に応じて柔軟に対応する技術」のレギュレーションも、用意するべきではなかろうか。

 

 

わたしが人間ゆえに、このようなことを思うのだろう。もしも相手がロボットだったならば、亡き妻の話を笑顔で話そうが口元を隠した状態で小声でささやこうが、気分を害することはないからだ。

だからこそ、人間がその仕事に就く限りは、人間らしい判断と対応を期待したいと願うのだ。ただの「伝言板」ならば、人間である必要はないのだから。

 

Illustrated by 希鳳

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