マリファナ臭

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二週間にわたるアメリカ滞在を経て、いよいよ現実世界に戻ることとなったわたしは、ラスベガスから羽田空港に向けて快適な機内の旅を楽しもうとしていた。

思い返せば、今回はアメリカン・エアライン(AA)を利用したのだが、予約時点でもチェックイン時点でも「座席の指定」ができなかった——正確には「無料で座席変更ができないこと」が不満だった。

なんせ、選べるシートはどれも有料で、最低でも15ドル以上は支払わなければならない。ほかにも空席はあるはずなのに、大したことのない場所・・たとえば三人掛けの真ん中ですら、カネを取ろうとするのだから恐ろしい。

(チェックインカウンターでやるしかないか・・)

よって、空港にて座席変更の交渉をするしかないわけだ。

 

ところが最悪なことに、帰路の際に量ったスーツケースが5キロも超過しており、慌てて中身を取り出しリュックに詰めるなど、予想外の重量オーバーにてんてこ舞いとなったため、肝心の座席変更について依頼する余裕がなかった。

ついでに言うと、担当のカウンタースタッフがアジア人嫌いだったようで、あまりいい対応をしてもらえなかったこともあり、これ以上のやり取りは不毛と考えたのも事実。

 

——そんなこんなで機内に乗り込んだわたしは、当初与えられたシートに座ると、離陸を待ちながら眠りに就いたのである。

 

 

(・・・え?なにこのガラ空きは)

食事が終わり周りが就寝した頃、コーヒーをもらいにわたしは後方エリアへと向かった。だがなんと、後方エリアはガラガラではないか!!中には三人掛けで足を延ばして爆睡している者もいる——これは、わたしも移動させてもらうしかない。

そこで、コーヒーを受け取った後に「この列の先頭の席が空いているから、移動させてほしい」と頼んだところ、まかさの「No!」・・あっさり拒否されたのだ。どうやらそこは開放していないシートなので「ダメ」とのこと。しかしながら、「真ん中の先頭ならばOK」という代替案を提示されたわたしは、二つ返事で了承した。

 

真ん中のシートは三人掛けで、逆の通路側に一人乗客がいるだけだった——と思っていたのだが、よく見るとその乗客は一人で二席を使っていた。要するに、めちゃくちゃビッグなガイだったのだ。

推定体重200キロのビッグガイに、念のため「ここへ移ろうと思うが、問題ないか?」と座席を指さしながら尋ねたところ、スナック菓子を頬張りながらニコニコと快諾してくれた。

(うん、そりゃデカくなるわ・・・)

 

そして荷物の移動も済ませ、無事に広々としたイイ席を確保できたわたしは、持ち前の運の良さに満足していた。すると、隣の隣に座るビッグガイが笑顔で話しかけてきたのだ。

今回のショートバカンスは日本経由でプーケットを訪れるとか、先月はコスタリカへ行ったとか、ベネツィアの風景がとても気に入っているとか・・その旅行好きなアメリカ人は、スマホに撮りためた画像を見せながら嬉しそうに旅の思い出を話してくれたのだ。

 

もちろん、それらの話は面白かったし景色や料理も素晴らしかった。だが、ただ一つだけ、どうしても頂けないことがあった——それは、とにかくマリファナ臭いのだ

アメリカ合衆国における半分の州がマリファナの成人利用を認めており、ネバダ州もカリフォルニア州も合法であるため、マリファナ愛用者が搭乗していてもおかしくはない。とはいえ、あまりのクサさにこちらの具合が悪くなりそうである。

 

そんなわたしの気も知らずに、陽気なビッグガイはマリファナ臭を振りまきながらせっせと話しかけてくる。悪い奴ではないからこそ、こちらも寝たフリが出来ないところが辛い——。

そこでわたしは「仕事をする」と告げると、パソコンを開き忙しそうなフリをしたところで、我々のチャットタイムは終了となった。

 

 

なんだかんだで羽田空港に到着すると、スーツケースを受け取りにバゲージクレームへと向かったわたし。

まだしばらくは出てこない様子のターンテーブルを眺めながらぼーっと立っていたところ、足元に麻薬探知犬がやってきた。若いゴールデンレトリバーだが、ハンドラーと一緒に怪しい臭いがしないかチェックをしているのだ。

すると、まさかのわたしの足元で歩を止めたではないか!!——し、しまった・・あいつのせいだ。あのビッグガイがマリファナ臭を振りまいてしゃべるから、わたしにもその飛沫が付着したんだ!

 

ところが、探知犬はわたしのニオイチェックを終えると、右隣りに立っていた上下黒の服にマスク姿の男性のほうへと移った。しかも、その場から動かないどころか、当初は足元を嗅いでいた鼻が足首・ふくらはぎ・膝裏と、どんどん上にあがっていくではないか。

(・・え、まさかの?!)

するとハンドラーが「そうそう、そうだよ~そしてぇ?」と、謎の掛け声をかけた途端、探知犬はついに膝のあたりへ鼻を押し当てたのだ。その瞬間、ハンドラーはすかさずダミー(巻きタオル)を与え、それに嚙みついた探知犬はサッサと別の場所へと連れていかれた。

(あぁ、要するにグルだったのか・・)

 

つまりあれは、探知犬の実地訓練をしていたのだ。犯人役の税関職員の膝に不正薬物を仕込み、見事に発見できたら別の場所へ移動する・・というのを繰り返していたのだろう。

その時、わたしはふと思った——あのビッグガイは大丈夫なのだろうか、と。

 

 

ちなみに、麻薬探知犬はマリファナなど不正薬物の「現物の臭い」を嗅ぎ分けるため、使用後の残り香には反応しないのだそう。とはいえ、あまりにマリファナ臭い人物がいれば、税関職員が質問するだろうが・・。

どうかあの陽気なビッグガイが、無事にタイへ到着できますように。

 

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