昨日は久しぶりに寒かった。ここ最近、「もはや春なのでは?」と勘違いしそうな穏やかな気候に恵まれていたことから、あわよくば冬物のジャケットをクリーニングに出そうか・・などと調子に乗っていたわたし。
ところがそうは問屋が卸さない。春の暖かさは一変、真冬に匹敵する寒さに加えて冷たい雨が降りだしたのだ。寒さだけならまだしも、そこへ雨・・しかも途中から霙(みぞれ)混じりの寒々とした演出が加わるとなると、これはもう外出を控えるレベル。
挙句の果てにはいつしか雪へと変わっており、わたしにとっては今シーズン初となる都内での雪を拝むこととなった。
踵のない靴・・いわゆるサンダルやスリッポンのような履き物しか持っていないわたしにとって、雨や雪は非常に厄介な敵となる。どれほど水溜まりを避けようが、踵を狙われては元も子もない——よって、なるべく屋根のあるところを選んで進むしかないわけだが、そんな避難場所がない場合はレジ袋を靴下代わりに履いて、機能性重視で闊歩するなど、ニンゲンを脅かすには十分なほど手ごわい相手なのだ。
そして、天気が崩れた際に受けるダメージ——厳密には、前線や低気圧の影響として最も厄介なダメージとして「片頭痛」が挙げられる。こちらの攻撃はいかんせん避けようがなく、ロキソニンの援護を受けなければかなりの行動が制限されるほど、強力かつ効果絶大な影響を及ぼすわけで。
それでも、なるべくならば自力で耐えたいわたしは、久しぶりに宣戦布告をしてきた片頭痛を相手に、無防備な状態で戦いに応じたのである。
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よく「片頭痛と生理痛は似ている」と言われるが、まさにその通りである。生理痛を経験したことのない者には分からないだろうが、個人的には「生理痛が頭で起きているのが、片頭痛」という感じで、あの鈍くて重たい神経痛に耐えるのはなかなかの強メンタルを要する。
痛み・・といえば骨折や創傷の痛みも侮れないが、それでも痛みの原因がハッキリしていることから、どことなく諦めに近い感情が後押しした結果、「痛いのは当たり前」という気持ちに変化するのがわたし流。そのため、いわゆる”怪我の痛み”にはめっぽう強いのである。
しかしながら、神経痛というのは耐え難い。なんせ神経というのは、そもそも痛みの感覚を直接伝達する役割を持っているため、それを直に刺激することで発生する神経痛が、痛くないはずがないからだ。
そして片頭痛も神経痛の一つであり、脳内の血管が何らかの理由で拡張した際に、血管周辺にある神経を刺激することで頭痛が起こる・・というのが片頭痛の仕組みだが、未だにその全貌は解明されていない。
しかも今回のように、気圧の低下により周囲の圧力との均衡を保つべく血管が拡張した場合、要因となるのが「気圧の変化」というあまりに大きすぎるチカラのため、ニンゲンごときのちっぽけな存在が太刀打ちできる代物ではないのだ。
そのため、この地味に響く鈍痛を抱えながら、一日を過ごすこととなるのである。
それにしても、生き物にとって重要な器官である脳において、こちら側に非がなくとも、周囲の気圧が低くなることで自ずと血管が拡張し、または何らかの原因で三叉神経が刺激されることで血管が拡張し、その結果、血管周囲の神経が刺激されて鈍痛が発生する——というメカニズムは、文字化してみてもやはり納得しがたい。
天気が崩れる・・という、日常的かつちょっとしたレベル(実際にはとても大きな変化ではあるが)のことで、心身に対してここまで多大な影響を及ぼすという事態について、長年の人類の歴史において改善されるべき余地はなかったのだろうか。
しつこいようだが、たかが片頭痛ごときですべての行動が制限されるほどのダメージを受ける必要性が、どこにあるというのか——。
などと無意味な反発と屁理屈を並べながらも、ベッドに横たわるしかない無力なわたしなのであった。
(にしても、頭が痛い・・・)
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