馬鹿(ばか)という言葉の由来は諸説あるが、主にこの二つが有力視されている。
まず一つ目は、中国の故事である「鹿を指して馬と為す」説だ。秦の始皇帝の没後、権力を握った宦官の趙高(ちょうこう)が、家臣たちの忠誠心を試すべく、幼少の二世皇帝に鹿を「馬」として献上した。幼帝は「これは馬ではなく鹿じゃないか?」と臣下に尋ねたところ、ある者は否定したり黙ったりしたが、趙高にこびへつらう者は「馬です!」と答えた。その後、「鹿ですよ」と答えた正直者は処罰されたため、誰も趙高に逆らえなくなった・・という話である。
このことから「鹿を馬だとゴリ押しすること」は、愚かさや道理をわきまえないことの象徴となり、いつしか「馬鹿」という二文字に集約されたのだそう。なぜ「鹿馬」じゃないのかは不明だが、まぁそういうことらしい。
そしてもう一つは、サンスクリット語の「moha」または「baka」の音写で、「莫迦」や「婆伽」から転じたという説である。mohaは「無知、迷妄」といった意味で、仏教の影響で日本へ伝わってきた際に、「馬鹿」という当て字に変化したとされる。
いずれにせよ、現存する”バカ”の意味は生きており、馬と鹿の見分けもつかないような愚か者・・ということで、語源と一致しているわけだ。
馬鹿に続いて、愚かであることを指す罵倒語の代表として「阿呆(あほ)」が挙げられる。
こちらの語源も、「馬鹿」同様に秦の始皇帝絡みなのが面白い。当時、始皇帝は超巨大宮殿である「阿房宮(あぼうきゅう)」を建てた・・というか、建設途中で逝去しているが、その無駄に広い宮殿のために莫大な費用と人材と時間をかけたにもかかわらず、最終的には項羽に焼き払われたわけで、完全に「ムダ」尽くしだったと揶揄されたのだそう。
他にも、ポルトガル語で「間抜け」を意味するアファウに由来するとか、「愚か」を意味する「惚(ほう)け」に、接頭語である「あ」がついて変化したとか、色々な語源が存在するが真相は明らかにはされていない。
——つらつらと愚か者を示す罵倒語について綴ってきたが、わたしは今日、自分は「馬鹿」で「阿呆」なのではないかと思う場面に遭遇した。いや、思うまでもなく正に馬鹿で阿呆だった。
もう何度も繰り返してきた失敗にもかかわらず、性懲りもなくまた今日も同じ轍を踏んだのだから、馬鹿で阿呆以外に的確な表現は見当たらないのだ。
いったい何をしたのかというと、目黒駅に併設されているアトレ目黒にて、食べ物を物色していた時のこと。
おむすび専門店で美味そうなやつを8個ほど購入したわたしは、隣にある練り物の店へと移った。そして、コーンと菜の花に紅しょうがレンコン、枝豆が入ったものと、あとは忘れたが合計5つの美味そうな練り物を購入した。さらにその隣の店で中華弁当を購入し、勢い余ってその隣りにあるゴントランシェリエへ吸い込まれるように入っていった。
ゴントランシェリエは、わたしのお気に入りのパン屋である。中でも、抹茶あんのクロワッサンは買い占めるに値する代物。あんこ嫌いなわたしだが、なんとか目をつぶって食すことができるほど、生地に練り込まれた抹茶の味が秀逸なのだ。
さらに今日は、ラズベリーとホワイトチョコのクロワッサンも陳列されていたので、この辺りをすべて買い占めた(抹茶6個、ラズベリー4個)。ほかにもメロンパン、アップルパイ、クリームを挟んだコッペパンなど、お決まりのラインナップを次々とトレーに載せて山盛りの状態でレジへ——。
この時点で明らかに「買いすぎ」ではあるが、何回かに分けて・・または数日にわたって食べるならば、何ら問題はない。そう、普通ならばそうするべきだし、そうするつもりだった。
だが、気付けばこれらの食糧はわたしの体内へと収められていた。帰宅途中にスターバックスでコーヒー類を4杯買って、大量の食糧を勢いよく胃袋へと流し込んだのだ。
(なにが楽しくて、こんなにも大量の炭水化物を摂取したのだろうか。むしろ、そこまでして食べたかったのか? そもそも、飢餓状態でもないのになぜ食欲が止まらないんだ。挙句の果てには、満腹で動けなくなってマグロのようにどてっと床に転がる始末・・・)
あぁ、世間一般ではわたしのような愚か者のことを「馬鹿」とか「阿呆」と呼ぶのではなかろうか——。
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