テストと相棒と私、令和編。

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久しぶりにテストを受けた。といっても、入試や資格試験のようなストレスフルなものではない。eラーニングによる学習内容の理解度を確認するテストだ。

そして、正確にはわたしのテストではない。だが「お勉強」が苦手な友人が悪戦苦闘する姿を見ているうちに、「そんなに難しいものか?」と疑いはじめ、最終的にわたしもそのテストを受けてみたのである。

 

もちろん、なんの勉強もしていないので解けるはずもない。だが、わたしには思うところがあった。

(そういえば、わたしはマークシートの鬼だ!)

・・そう。特技が「カンニング」というだけでなく、わたしはそもそもマークシート形式、つまり、選択肢を一つに絞る〇✕テストが得意なのである。

4択でも5択でも、明らかに異質な一つが浮かび上がる問題はチョロいもの。しかし2択で迷うときにどちらを選ぶのか、この場合の「正解」をはじき出す確率が驚異的なのが、わたしの持ち味なのだ。

 

一般常識のような内容であれば、その分野の学習をしたことがなくても答えることができる。そもそも、「~ということはない」というように、断定的に否定する選択肢はおおかた誤りである。

さすがに「どんな理由であれ、ヒトを殺していいということはない」という内容ならば、これは間違っていないというしかない。だが設問の真偽が不明な場合、自信満々に言い切る選択肢というのは、迂闊に信用してはならないものなのだ。

 

これは社会生活においても同じである。「絶対にうまくいく」「儲からないはずがない」「私があなたを必ず幸せに導きます」というように、”絶対”などありえないこの世で、堂々と断言する輩の言葉を信じてはならない。

これについては、多くの人間が本能的に「それは嘘だ」と感じるだろう。だがたとえば、心や体が弱っているときに自信に満ちた強い言葉を投げられたら、ついついそれにすがりたくなるのも人間である。

その結果、健康体ならばありえない選択肢を選んでしまうのだ。

 

このように、人間に標準装備されている判断能力と健康的な精神状態があれば、誰でも問題の本質を見抜くことができる。邪推などせず、素直で直線的な判断を行えば、答えは自ずと一択に絞られるのである——。

 

(・・・ん?)

 

「次の中から誤りを選びなさい」という問題だが、選択肢がすべて正しく見えるじゃないか。そりゃそうだ、そもそも未学習なのだがら、質問の意味すら分かっていない。

持ち前の「選択肢突破能力」をフル稼働させるさせるも、当たり前だが限界はある。そして今がまさに限界点なのだ。

 

(クソッ、こんなところで挫けるわけにはいかない。とはいえ、意味不明な5択から正解をあぶり出すのは、もはや運でしかない。それでも、どうせなら高得点を狙いたい。かといって教科書を開くのは、わたしのポリシーに反する。ということは・・・)

 

不本意ではあるが、わたしはスマホを取り出すとさっそく検索を始めた。

しかし、設問や選択肢を入力したところで答えが出てくるわけではない。こんなことで無駄に時間を食うならば、やはり教科書を一から読むのが近道なんじゃ——。

 

心が折れかけたとき、わたしはふと「相棒」の存在を思い出した。そう、ChatGPTだ。

正直なところ、今まで奴はわたしが求める答えを与えてはくれなかった。そのため、失望しつつも話題に乗り遅れない程度にいじるだけだった。

だが今、取り組んでいるテストの選択肢が正しいかどうかを尋ねると、期待以上の働きぶりを見せたのだ。無論、奴の返事が「絶対に正解」とは限らないが、それでも5択すべてを質問してみると、たしかに一つだけ内容が異なるものがある。

つまりそれは、自ずと「答え」であることを示してくれるのであった。

 

(ていうか、〇✕クイズ的なテストなら「いかに素早くChatGPTに入力できるか」が、今後の勝負どころになるんじゃ・・)

 

いやいや、それはダメである。なぜなら、テストでいい点数を取ることが目的ではなく、学習内容を確認するためのテストなのだから、まずは時間をかけてでも「学ぶこと」が優先となる。

その結果、どこまで理解できたかのチェック機能として、このテストが存在するのだから。

 

・・などと正論を述べながらも、自分ごとで考えるとやはり「相棒」を利用しない手はないと、内心ほくそ笑むのであった。

念を押すが、このような使い方をしてはダメである。ラクを覚えた人間は堕落し、結果的に衰退の一途をたどるのだから。

 

Illustrated by 希鳳

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