顧問先の担当者から届いたメールを読んで、わたしは軽くショックを受けた。会ったことも喋ったこともない男性だが、テキストのやり取りだけで伝わる彼の人間性に加えて、仕事の理解度の速さや気遣いが非常に心地よかった。そんな有能な彼が、「今年いっぱいで退職する」というではないか——。
なんらかの諸事情があるにせよ、少なからずわたしにとっては“残念でならない事件“といえる。次の担当者と比べてはならないが、それでも業務上の進捗に影響を及ぼす可能性が高いため、惜しい人材を失う事実に嘆かざるを得ないのだ。
そんな”URABEイチオシの彼”が担当になってまだ一年だが、思い返せば最初の頃のメールは無味乾燥なものだった。
業務上の連絡や伝達のみでは、相手の人柄やキャラクターを推し量るのは難しいが、こちらとしても「当たり障りのない業務連絡のみ」で済ませられれば平和を維持できるため、必要以上に介入することは得策ではない。そのため、いわゆるビジネスライクなやり取りとなるのが常。
だが、どうせ頻繁にやり取りをするならば、少しくらいは人間味のあるコミュニケーションを図りたい・・と考えるのは、それほどおかしなことではないだろう。
というわけで、こちらからの指摘事項については「なるべく優しく、分かりやすい表現で、時にユーモアを交えて」をモットーに、どちらかというとフレンドリーな関係性を目指した。
これが対面だったり電話だったりすれば、表情や声のトーンなどで感情を伝えることもできるが、テキストのみでのやり取りは得てして”冷淡”に感じやすい。そんなことからも、とくに「間違いを指摘する際」には、極力ユーモアを前面に出しつつ、上から目線とならないよう注意した。
そんなわたしの配慮が奏功した(?)のか、彼は一定の距離を保ちつつもニュートラルで正確な対応を実践してくれた。なによりも連絡事項の記載方法について、ずば抜けてしっかりと理解していることに驚かされた。
連絡事項といっても、実際のところは大した内容ではない。それでもなぜか皆さん、抜けや誤記があるのだ。・・まぁ確かに、仕事としてはつまらない作業だろう。労務に関する基礎情報をExcelやスプレッドシートに記入するなんて、それだけならば小学生でもできるレベルの内容なのだから。
それでも、その一文字や一つの数字が申請書の完成度を左右するわけで、こちらからすると受け取った連絡票こそが”命綱”なのである。
しかも、フォーマットに反映しきれない情報をどうやってねじ込むかは、作成者のセンスによる部分が大きい。一から十までこちらから指示をするのはさすがに疲れるし、ある程度の判断は現場サイドで決めてもらいたいと考えているので、このあたりのさじ加減が暗黙の了解で共有できると非常に助かるのだ。
そんなわたしのワガママを、彼はしっかりと感じ取ってくれた。
繰り返しになるが、実際には大したことではない。たとえば、記入する数字や英字を半角で揃えるとか、和暦と西暦を統一するとか、未満/以下や超/以上を正確に使い分ける・・など、当たり前にやっている人にとったら「なんだ、そんなことか」という話だが、完璧にやりきってくれる担当者がなかなかいない・・というのが現状。
言ってしまえば「簡単で単純なこと」ではあるが、完璧に対処してくれる彼への信頼度はあっという間に爆上がりしたのである。
*
そんな彼の「退職の報告」を聞いたわたしは、率直に「優秀な人材がいなくなるのはショックであること」と「直接的な業務以外でのストレスなどが原因ではないか?」と、「残留は叶わないものなのか」について尋ねてみた。すると、その返信に思わず目頭が熱くなってしまった。
「めちゃくちゃ嬉しいご返信、ありがとうございます。(中略)先生がおっしゃるとおり、業務以外のストレスの限界にて退職に至ります。いつも先生が『対応が迅速で助かる』とおっしゃっていたので、誰よりも迅速な行動を心がけることができました。」
——わたしの感謝が、彼の行動を後押ししていたのだ。
会ったことも喋ったこともない相手だが、ちょっとした感謝や称賛が信頼関係を築き、互いのサポートへと発展していた事実を尊ぶと同時に、今さらながら惜しい人材を失うことへの虚しさを覚えた。
(いつだってそうだが、有能な人材というのは業務内容や賃金額で離職するわけではない。職場の環境——とくに人間関係——に嫌気がさして、いつの間にか離れていくんだ)
この事実こそが、社労士として駆け抜けた15年間で学んだ”悲しい現実”である。そしてこれは、改善できそうでできない”根深い闇”と隣り合わせであることも、残念ながら理解しておかなければならない。
わたしから餞(はなむけ)の言葉を贈るとすれば、「次の職場もその次の職場も、あなたのキャリアと人生が、いつまでも輝かしいものであるよう祈っています」ということだろうか。
とにかく、会ったことも喋ったこともない相手ではあるが、ストレスなくスムーズに仕事を進めさせてもらったことへの感謝は、社労士を続ける限り一生忘れないだろう。
——立派な命綱を握らせてもらって、本当にありがとう。
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