LINEスタンプで切れる縁?!

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わたしの短所というか、社会生活を円満に送りたいならば直すべき"癖"がある。それは何かというと、「たかがそんなことで!?」と驚かれること間違いなしだが、LINEスタンプで無性に腹が立つキャラクターがいて、それを使われると沸々と怒りがこみ上げてくる・・という癖だ。

しかも不思議なことに、同じスタンプを使われてもそこまで感情を乱されない者と、それこそ眩暈(めまい)を感じるほどイラっとする者とが存在する。これは相手のキャラクターの違いによるものなのだろうが、それだけでなく"わたしが相手をどう認識しているか"によって左右される気がする。

よって、イラつくスタンプを使う相手に非はないどころか、「スタンプくらい好きなキャラクターを使わせてくれよ!」となるわけで、最終的にはそれを見てひとりイライラするわたしが損をするだけなのだ。

(こんなことで相手を嫌いになってはいけない・・・)

そう言い聞かせながら、得体の知れない丸いホコリのようなキャラクターを睨みつけるのであった。

 

わたしはどちらかというと直感で物事を判断するタイプのため、人間関係の取捨選択は瞬間的に決まる傾向にある。無論、ニュートラルな関係性で付き合いを続けるうちに仲良くなるパターンもあるが、「これは多分ムリだろう」と思った相手と後々仲良くなることはないので、そういう意味では自身の直感を信頼しているのだ。

しかしその逆に、好きな相手を嫌いになる・・という残念なケースも往々にしてある。ということは、わたしの"ヒトを見る目"は節穴なのかもしれないが、好きだの嫌いだのという感情は一過性のものなので、時間が経てば記憶も感情も薄れていくもの。すると、あれほど憎かった相手も「普通に嫌い」に格上げされたり、周りが見えなくなるほど愛した相手も「視界に入らないでもらいたい」というほどに凋落したり、全くもって未来など不確定要素でしかないのである。

 

そういえば、アンガーマネジメントにおいては「衝動」「思考」「行動」の三つをコントロールすることで、対人関係を円滑に保つことできる・・とされている。つまり、「ムカつくから嫌い!」などと短絡的に判断するのは愚かな行為なのだ。

こみ上げる怒りをグッとこらえて、むしろ直面する感情から目を逸らすことで、別の見方や感じ方が浮かんでくる。そう、思考のベクトルを逸らすことで感情の矛先も変わるため、直前まで抱えていた怒りや喜び、悲しみといった強い気持ちの熱量が下がる——これこそが、感情コントロールの真骨頂だろう。

 

ポジティブな気分は永続的に味わっていたいが、逆にネガティブな感情とは早めにおさらばしたいもの。そして、一ミリの未練も残さずに思考をガタンと方向転換させられたならば、当たり前だが"新たに見せられた現実"に沿った感情が湧いてくる。

たとえば、焼きたてのパンの匂いが漂ってきたならば、それまで怒り狂っていたにもかかわらず、「ん?どこだどこだ?」と鼻をクンクンさせながらヨダレをゴクリとするわけで、このくらい完璧に思考を変化させられたならば、感情のコントロールなど容易となるわけで。

 

そして単純な作りのわたしは、食べ物やコーヒーの香りで機嫌が良くなる・・という、なんとも安いオンナである。そのため、激しく感情が乱れていたとしても、美味そうな食糧や淹れたてのコーヒーを目の前に置かれたら、一気に穏やかな気持ちになるのだ。

他にも、練習中のピアノ曲を聞いても同じような結果となる。これはきっと「弾けるようになりたい」という気持ちがムクリと起き上がることで、それまで抱えていた負の感情を上回るからだと自己分析するが、いずれにせよ目の前のトラブルに固執するあまり、その思考を引きずるのは得策とはいえない。むしろ、さっさと忘れてしまうことが、人生における成功の秘訣だと思うのだ。

 

ちなみにわたしは「忘却力の女王」と恐れられるほど、覚えたことをすぐに忘れる傾向にある。とくに"友人の名前"を忘れる速さは尋常ではない。とはいえ、わたしが勝手に名付けたニックネームならばいつまで経っても覚えていられるので、対象が"本名"という場合に発動されるチカラなのだろう。

「本当にゴメン、名前なんだっけ・・・」

冗談にしてはパンチの効いた質問を投げつけられ、友人らは顔を曇らせるのであった。

 

 

などとアレコレ思いを巡らせるうちに、あの丸いホコリのようなムカつくキャラクターへの怒りも、やや静まったのである。

 

llustrated by おおとりのぞみ

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