(カラスか・・・ん?)
歩道と隣接する民家の入り口に、薄汚れたカラスがいた。毛づくろいをしているのか、顔を180度後ろへ回し嘴(くちばし)を肩あたりに突っ込み、小さな頭を前後させなが何かをついばんでいた。
そんな彼(?)の羽根は毛羽立っており、お世辞にも美しいとは言えない。丸々と太った身体——中でも胸の厚みが凄いのだが、きっと武闘派のカラスなのだろう。日々喧嘩に明け暮れる様子が、否が応でも想像できるのだ。
都会で暮らすカラスのさだめとでも言おうか、自らを傷つけてでも生き延びなければならない、野生由来の過酷な現実がそこはある——などと勝手に感慨に浸っていたところ、武闘派カラスがおもむろに顔を上げた。そしてその横画を見たわたしは面食らった。
(カラスじゃなかった、ハトだ・・・)
およそハトとは思えないほどの重量級ボディに、人間ならばボディビルダーのような分厚い胸筋・・なるほど、これこそが鳩胸といわれる所以なのか!!
どちらかというと太々しさを感じるその立派なハトは、わたしを一瞥すると重たい身体を揺さぶりながら民家の奥へと去って行った。その背中は、やはりどう見てもカラスの風貌だった。グレー色で毛羽立った小太りのカラス——。
カラスは生ごみを漁るためニンゲンから嫌われているが、じつはハトも雑食である。カラスほど肉食ではないが、バッタやカタツムリくらいの虫ならば食べてしまうのだそう。それにしてもなぜ、カラスは「悪魔の使い」でハトは「平和の象徴」なのだろうか。
事の発端は、旧約聖書の"ノアの方舟"のエピソード。神の逆鱗に触れたことによる大洪水で、地球が水没した47日後に方舟からハトを放ったところ、オリーブの枝を加えて戻ってきたことから上陸可能・・つまり、地球に再び平和が訪れたことをハトを通じて知ることができた——というのが、ハトと平和の由来。
さらに、そのイメージを確固たるものとしたのが、1949年にパリで開かれた国際平和会議のポスターで、ピカソが描いた白いハトの絵がきっかけとなり、世界的にもハトが平和の象徴として用いられるようになったのだ。
ところが、社会生活におけるハトは"鳥害"の主犯格として、むしろ平和をぶち壊す悪者に指定されている。鳥害とは、鳥のフンによる被害(生活被害)や鳴き声や羽音のうるささ(感覚被害)、巣を作られる(景観被害)、鳥インフルエンザやアレルギー(衛星・健康被害)といった、人全の生活や健康を脅かす恐れのある鳥の行為のこと。
野性味の強いわたしからすると、鳥の鳴き声くらいは子どものはしゃぎ声と同レベルで、仕方のない音・・というか当たり前の生活音として刷り込まれてしまったが、それでも大量のハトやカラスが一斉に鳴きはじめたら、うるささよりも恐怖を感じるのかもしれない。
さらに鳥のフンというのも、「生理現象なのだから仕方がない」といわれればそれまでだが、駐車していた車のフロントガラスが鳥のフンで真っ白になっていれば、それはもう怒りと絶望以外の何ものでもないわけで、やはり深刻な問題なのだ。
——そんなこんなで、平和なんだか害鳥なんだかよくわからない立ち位置のハトではあるが、目の前をゆっくりと歩くアイツは紛れもなく"ハト界における路上の伝説"である。漫画で描くならば、片目に傷跡があり筋骨隆々のアウトロー、一匹狼ならぬ一羽ハトのポジション。
でっぷりとしているからなのか、こちらをチラ見する目つきからも悪意が感じられる。おまけに、ハトのくせにカラスのような大柄な身体をゆすりながら歩く姿からは、平和の「へ」の字も感じられない。
それでもアイツは、"はぐれハト"として大都市・東京を生き抜いている。残飯を漁りカラスや野良猫と戦い、ニンゲンから邪険に扱われるながらも、一人逞しく生き抜いているのだ。
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もしかすると、単なる食いしん坊の"肥満ハト"だったのかもしれないが、個人的には武闘派のアウトローであることを期待するのであった。
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