「いい加減、現代の働き方に合ってないよな。俺たちはテクノロジーで既成概念をぶっ壊してるのにな~って思うわ」
IT系企業の社長から、そんな嫌味を言われたわたし。だがこれは、嫌味ではあるが事実でもあるため、反論の余地がない。
完全在宅勤務の新入社員を雇用するにあたり、フルフレックスタイム制の導入を提案したのだが、その前に専門業務型裁量労働制も採用できそうだったため、対象業種に該当するかどうかを確認していた時のことだった。
ちなみに、あまり聞き慣れない言葉ではあるが"専門業務型裁量労働制"とは、
のことだ。
それにしても「170文字を一文で書く」という神業を、いとも簡単に涼しい顔でやってのけるのが、日本が誇るお役所仕事というやつだ。
意味を理解するのに何度か読み直す必要がある・・なんてことは度外視の、ナルシスト精神を強く感じるわけで——。
具体的には、新聞記者やデザイナー、システムコンサルタント、インテリアコーディネーター、ゲームソフト創作、証券アナリスト、大学教授研究、弁護士や建築士ほか7つの士業・・などが該当する。
これらの仕事は、所定時間内でこなせる業務とは限らないため、労働者の裁量にゆだねる部分が大きい。そのため、業務遂行の手順や時間配分などを、会社ではなく労働者本人に決めてもらうのだ。
本来、業務上の指示や就業時刻の決定は会社が行うものとされているが、現代においては、わざわざ出勤などせずに自宅で作業をこなせる業務も増えているため、労働者の能力に応じて適宜遂行してもらうほうが効率的なのである。
しかし、これらの業種に就いたからといって、自動的に採用されるものではない。"労使協定"といって、会社と労働者の代表とで協定を締結し、労働基準監督署へ届け出なければならないからだ。
とはいえ、年に一度の届出なのでそこまで手間にはならないが、それでも面倒といえば面倒。しかし、労働者保護の観点から誕生した法律である労働基準法は、会社側に面倒な手続きを課すことで色々な自由を奪う側面もある。
「んー、該当する部分もあるけどちょっと違うかな」
社長の返事を受けて、裁量労働制の採用が不可となったため、今回は自動的にフルフレックスタイム制の導入となった。
しかし、フレックスタイム制のほうが裁量労働制よりも面倒なことが多いのが現実。
労使協定と就業規則(労働者10人以上の企業のみ)の作成・届出のほかに、"清算期間"といって、実労働時間と所定労働時間との過不足を翌月以降に持ち越すことができる・・という、一見便利そうに聞こえて実際には給与計算でものすごく煩雑な管理が発生するのだ。
——そんな説明をしたところで、冒頭の社長の発言が飛び出した・・という流れである。
わたし自身も含めて、"オフィス"という概念が存在しないビジネスパーソンが増えているのは事実。もちろん、接客サービス業などは顧客と対面でやり取りするスタイルのため、今も昔も店舗へ足を運んでもらうことで、食事や施術など各種サービスを提供している。
だが、パソコン一つで作業ができる職種であるにもかかわらず、わざわざオフィスというデカい箱の中で仕事をしなければならない理由が分からない。
朝一で満員電車におけるバトルをクリアして、会いたくもない上司のツラを視界の端に認めながらパソコンをカチャカチャする・・あぁ、なんと無駄で非効率的な行為だろうか。
ならば、自分の好きな場所で好きな時間にやるべき作業をこなすほうが、よっぽど有意義で効率的だと思う。
むしろ、そっちのほうが自然に感じるのはわたしだけではないだろう。つまり、わたし以下の世代は「場所や時間に囚われず、自分のペースで進められる職場」のほうが、馴染みやすいし作業に没頭できるのではなかろうか。
そもそも、労基法が誕生した昭和二十年代に「インターネット」だの「デジタルコンテンツ」だの、そんな不思議な環境は存在しなかったはず。だからこそ、人間が汗水たらして働いてカネを稼ぐことこそが「仕事」だったわけだ。
ところが今、業種によってはパソコン一つで誰とも会うことなく、仕事をこなすことができる世の中になった。そうなると、人間がいつどこで何をしていようが、期日までに指定の仕事を完了させられれば、それ以上その人間を拘束する必要などないわけで。
むしろ「人生」という尺度で考えると、無駄で無意味な時間を強制的に過ごさせること・・すなわち労働者を拘束することは、人権侵害に当たるのではなかろうか——。
・・・などと、末端の社労士が牙を剥いたところで法律は変わらない。そして日本人は、長い物には巻かれろ!精神が沁み込んでいるため、個人レベルでは調子のいいことを言うも、いざとなったら手のひら返しは当たり前。
冒頭の社長には申し訳ないが、これ以上彼のストレスを増やさないためにもわたしが密かに暗躍を誓うのであった。
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