かなりどうでもいいことだが、わたしにとっては非常に恐ろしいことであり、頼むから誰かどうにかしてくれ——と、日々願っていることがある。
それは・・・いや、止めておこう。実にくだらないことであり、この恐怖を分かち合える人間が存在するとは思えないわけで、そんな悩みを打ち明けたところで鼻で笑われるだけだからだ。
〇〇恐怖症というのは、当人にしか分からない感覚であり、他人がどう思おうがそんなことはどうでもいい。
しかも、高所恐怖症とか閉所恐怖症のように、共感できる人間が多い恐怖症に関しては、公にしたほうがいい場合もある。
「わかるわかる!」「じつは私もだよ!」などと、互いに秘密にしていた恐怖を分かち合うことで、仲間が増える可能性もあるからだ。
だが、なかなか他人に理解されない恐怖だったりすると、公開したところで「・・・あ、うん」とか「ふ、ふーん・・・」という感じで、まったく理解されないどころか奇妙な目で見られたりすることも。
別に、他人に理解してもらおうとか共感してもらおうとか思っているわけではない。わたしだけがこの恐怖に怯え、逃げ惑えばいいだけのことなのだから——。
それでも、そんな"小さな恐怖"を毎日目にするわたしは、すなわち毎日メンタルをすり減らしながら生きているわけで、こんな暮らしを続けていたら命がいくらあっても足りない。
やはりここは、事実を打ち明けておくべきか——。
——落ち着いて聞いてもらいたい、このわたしが毎日怯えながら目にする恐怖とは、玄関の鍵穴からぶら下がっている、短いクモの糸とその先に絡まっている枯れ葉の欠片だ。
いま「・・・は?」と思った野郎には、きっと悪いことが起きるだろう。いや、起こしてみせる。
どうせ大方「たかがクモの糸と枯れ葉ごときで、そんなもののどこに恐怖を感じるというのだ?」と、わたしを小馬鹿にしているのは分かっている。
しかし当人にとって、どれほど小さかろうがどれほど短かろうが、蜘蛛やクモの糸ほど恐怖の象徴となる存在は、この世において他には見当たらないのである。
数日前、外出時に鍵を閉めようとしたところ、見たくなくても視界に飛び込んでくる異様な揺れに気がついてしまった。
(鍵穴から白い糸がぶら下がっている・・なんてはずがない)
どう考えても、その白い糸はクモの糸である。そしてその先には、茶色っぽい枯れ葉だろうか。あるいは茶色い紙屑かもしれないが、何らかの薄っぺらい破片がくっ付いているのだ。
ドアを閉めた振動で枯れ葉がブラブラと揺れている。わたしはその悍(おぞ)ましい光景に耐えきれず、二つある鍵穴のもう一つに鍵を差し込んで回すと、一目散にエレベーターへと飛び込んだ。
(帰宅するまでに、風が吹いてクモの糸が切れていることを願う・・・)
*
その日の夜、エレベーターのドアが開いた瞬間に、わたしは目を細めて上の鍵穴を睨みつけた。
(・・・まだぶら下がってやがる)
淡い期待は見事に裏切られた。クモの糸と枯れ葉は、淫靡な揺れをみせながらわたしを嘲笑うかのように、そこに存在していた。
忌々しい気持ちを抑えながら、わたしは下の鍵穴に鍵を突っ込むと、静かに回して鍵を開けた。——こんなことで、わたしの指にクモの糸が付いたりしたら事件だ。慎重かつ速やかにこの場を去らなければ。
こうして、かれこれ一週間が過ぎた。それなのになぜか、クモの糸も枯れ葉の欠片も、いつもと変わらず鍵穴からぶら下がっているのだ。
(一体いつまで、こうしているつもりなんだ・・・)
クモの糸も枯れ葉もいわば死んでいる。よって、こいつらが自発的にこの場を去るとは思えない。
そうなると可能性として考えられるのは、風が吹いてこいつらを剥ぎとってくれるとか、気が利く隣人がこいつを除去してくれるとか、そのくらいだろう。
ちなみにわが家のドアは内側にのめり込んでいるため、風が吹いてクモの糸を千切ることはない。となると、隣人に期待するしか——。
(ダメだ・・他人頼みなんて、とてもじゃないが期待も信用もできやしない)
*
こうして今日も、絶望に溺れ生きた心地のしない一日を過ごすのであった。
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