この時期になると毎年同じ愚痴ばかりこぼしているが、それでも、何年経っても変わらないのだから言い続けるしかない。
もはや形骸化しているような、不毛な手続きを毎年強制する意味が、わたしには分からない。だから毎年、思わず呟いてしまうのだ。
だって、どうせ強制するのならば「そういうこと」をデフォルトにすればいいじゃないか。それなのになぜ毎年毎年、同じ内容をコピペして形式上の代表労働者を民主的に選出し、記名押印という昭和の手段を引っ張り出すのか分からない。
時間外労働や休日出勤をしようがしまいが、「そうなった場合はここまで」という上限を適用させるのではダメなのか? なんというか、サブロク協定ほど形骸化した無意味な届出は、今の時代にフィットしないということを、声を大にして言いたいのである。
「社労士がそんなことを言うのはおかしい!」
と叱られるかもしれないが、なぜ、わざわざ時間外労働や休日労働を「特別なこと」として捉えて、別途届け出が必要な手続きとしているのかが、わたしには理解できないのだ。
原則は一日8時間かつ一週40時間労働というのを軸に、時間外労働が発生した場合には現行のルールを適用させる・・ということではダメなのだろうか。
大企業は分からないが、わたしが関与する小規模の企業においては、日々の顧客対応や道路状況によって終業時刻がズレることがよくある。そして、その場合は当然ながら割増賃金が発生する。
とくに顧客と対面でやり取りをする接客業においては、どうしても顧客の事情に左右される場合があり、デパートの閉店のように強制的にドアを閉めて締め出すわけにはいかない。
そういう「リスク」を日々抱えているわけで、働く側も説明されるまでもなくその状況を理解している。それでも毎年サブロク協定"書"を締結し、サブロク協定"届"を労働基準監督署へ届け出なければならないわけで、そこにどんな価値と意味があるのだろうか。
なぜなら、時間外労働や休日労働分の割増賃金は支払っているわけで、サブロク協定の届け出があろうがなかろうが、賃金に関する法律は遵守しているからだ。
そして、わたしがなぜここまで憤慨しているのかといえば、サブロク協定「届」は電子申請による届出ができるし、2021年4月から押印不要となったため、手続きが簡素化されて便利になった!と思われている。
だが、サブロク協定届を電子申請する前に「サブロク協定書」というものを労使間で締結する必要があり、その「サブロク協定書」に関しては未だに押印が必要なのだ。
いったいなんのために、押印という悪しき風習を残したのだろうか——。
結局、使用者も労働者も押印を強制されているわけで、申請時の押印は不要となったが、書面への押印という行為から免れることはないのだ。
・・・要するに、特段これまでと変化はないのである。
なんのための「脱・ハンコ宣言」だったのか、三年前にサブロク協定届への押印が不要となった時点で、わたしは疑問符が拭えなかった。だって、サブロク協定届とサブロク協定書は"兼ねている"のだから。
それなのに厚労省は、あたかも「大ニュース!」であるかのように、したり顔でこのことを発信した。それを聞いたわたしは「はぁ?」としらけ顔である。なんせ企業側にとっては、これまでと何も変わらないのだから。
「押印も必要なんですか?」
ここ数日で、何度この質問を聞いただろうか。その度にわたしは、
「申し訳ない、押印が必要なんです」
と、画面の手前で頭を下げるのであった。そりゃそうだ、押印不要となったはずなのに、なんでまだ必要なんですか?と、素人からすれば不思議に思うのは当然のことである。
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本当に必要な手続きならば、誰もが申請しやすい方法を考えるのが、強制させる側に必要な"能力"なのではなかろうか。
難しい文言を並べたり、申請までに段階を踏ませたりすることで、その手続き自体に嫌悪感や苦手意識を抱かせるのが目的ではないはず。それなのに、今やっていることは「めんどくさいから、やりたくない(後回しにしよう)」と思わせる内容なのだ。
飛躍した意見にはなるが、サブロク協定を締結・届出しなくても、当たり前にその上限を守る・・ということではダメなのだろうか。
何らかのトラブルで調査が行われた際に、「労働基準法第36条違反」として、6箇月以下の懲役又は30万円以下の罰金が科せられる場合がある(しかし、即座に対応すれば罰則は回避されるので、実際は滅多にないこと)。
だがむしろ、サブロク協定の締結・届出よりも、時間外労働や休日出勤に対する割増賃金の支払いや、長時間労働を軽減させるための対応のほうが重要なわけで、本質はそちらにあるとわたしは思うのだ。
繰り返しになるが、書類作成に意味があるのではなく、「実態としてどうなのか」が重要のはず。
いずれにせよ政府には、記名押印という無駄で不毛な作業ではなく、せめて署名のみで認めるくらいの度量を見せてもらいたものだ。
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