日本特有の・・というか、"暗記重視の評価制度を絶対視する風潮"を変えるには、一度、日本が物理的に崩壊するしかないだろう。学歴も地位も名誉もすべてを失ったとき、人間が持つ個々の能力だけで優劣をつける時代が訪れるからだ。
優劣というと語弊があるが、必要以上に評価されている人間が、妥当な立ち位置に戻るためには、全員が横一線でスタートを切る必要がある。その際に必要となる能力こそが、霊長類である人間を評価するに足る要素ではないかと、わたしは思うのだ。
見えない権力よりも見える実力、過去の栄光よりも目の前の現実を、いかに素直に正面から受け入れられるかで、物事の見方や価値観はガラリと変わるだろう。
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わたしの周りには、ヒトとして優秀な人材がうじゃうじゃいる。いわゆる学歴・職歴ともに輝かしい完璧タイプもいれば、なにか一つだけ抜きんでているニッチなタイプもいる。中でも、わたしの相方は明らかに後者であり、現代では輝くことのできない残念なタイプなのだ。
「あ、32(サンニー)だ」
運転中に奴がつぶやく。周りをキョロキョロ見るも32がなんなのか、わたしには分からない。
「え、どれ?」
「いま通り過ぎたシルバーの車」
振り返ったところで、シルバーの車を見失うわトラックたちに視界を遮られるわで、32を確認することはできなかった。——ちなみに32とは、日産フェアレディZの古い車種らしい。にしても、これほど車まみれの車道かつ夜の暗がりで、よくもまぁすれ違っただけで分かるもんだ。
「お、FD!」
もはや、聞いたところでその車を探せる自信はないのでスルーした。・・そう、彼は好きなタイプの車種ならば、一瞬で見分けることができるのだ。
・・ここだけ聞くと、なんだかカッコいい雰囲気が漂うがそれは違う。むしろ、驚くほどポンコツな人間なのである。
「Googleアシスタントに声を登録するから、これ読んで」
そう言いながらわたしは、短い文章を奴に読ませた。
"Ok Google, 毎週月曜日に植物に水をやることをリマインドして"
こんなの余裕だよ・・と言わんばかりに奴は口を開いた。
「おっけーぐーぐる、まいしゅうげつようびにうえきにみずを・・」
違うだろうが!!と、わたしに頭を叩かれ再度トライ。
「おっけーぐーぐる、まいしゅうげつようびにしょくもつにみずを・・」
・・決してわざとではない。だがなぜか、いつも惜しいところ(?)で読み間違えをするのが、奴の代名詞的な特徴。むしろ、漢字の部分をすっ飛ばしたり都合のいい読み方で読んだり、そんな感じで「正しく読まない」というやり方を貫いて、ここまで生きてきたのだ。
そのため、「これなんて読むの?」と、漢字のスクショが送られてくるわけで、わたしが辞書機能として活躍するのである。
そもそも「植物」という漢字が一発で読めない、あるいは読み間違えることなど、一般的な社会人ならば考えにくい。そしてこれは、現代における能力評価としては「バカ」に分類されるレベルだ。
しかし奴は、一部の特化した事案についてだが、不思議なほど理路整然と説明することができるのである。
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「奥山の説明が意味不明なんで、分かりやすく説明してくれない?」
アニメ「MFゴースト」に登場する、オートショップのエンジニア・奥山広也が、主人公がレースで使う車(トヨタ86/ハチロク)をアップデートするべく、なにやら小難しい専門用語を並べて説明しているシーンがあり、その発言の意図が知りたいわたしは、「植物」が読めないオトコにNETFLIXを見せながら解説するよう依頼した。
「シックスポッドっていうのは、この丸くなってる部分に3つのローターが入ってて、片押しって言うんだけど・・・」
「マフラーを交換するのは、過給機のバランスをチューンする目的だから、マフラーだけデカくしても意味がないんだよね、なぜなら・・・」
「足回りのバランスを変えるだけで、車は速くなるよ。スピードが上がるというより、効率的かつ安定した状態で加速するというか・・・」
念のため、相方は車屋でもなければ整備士でもない。ただ、自動車や重機の操縦が得意というだけで。それでも、ここまで詳細にチューンナップの仕組みや効果を理解し、説明できるのだから驚きである。
他にも、ボルトの締め方ひとつとってもこだわりがある様子で、
「力いっぱい締めればいいってもんじゃない。それぞれのバランスを考えないと、結局、全部ゆるんでしまうんだ」
などと力説したかと思えば、
「スイッチにも寿命がある。だから、むやみやたらにカチャカチャ押さないほうがいい」
と、物言わぬスイッチを気遣ったりするのである。「たかがそんなこと」かもしれないが、長い目でみるとその効果は如実に現れるわけで、そんな配慮ができるかどうかが、部品や道具の寿命を変えるのである。
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もしも日本が焼け野原になったら、きっと奴の出番がくるだろう。学歴も職歴も家柄も資産も、なにもかも失った人間が明日を迎えるためには、ゼロからイチを生み出す「チカラ」が必要だからだ。
誰に習ったわけでもないが、水を引いたり基礎工事を施したりして、トイレや風呂場さらには宿泊施設まで完成させるのだから、なにもない荒野に立たされたとしても、奴ならばきっと、なにかを生み出してくれるだろう。
そんな「ペーパーテストで測ることのできない能力」を持つ人間が、正当に評価される社会というものが、彼の生きている間に訪れることを願う。
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