カーリングストーン・ベーグル

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近所に有名なベーグル店がある。その名は「マルイチベーグル」。

古びたビルの一階に店を構えるマルイチベーグルは、コンテナを改造したかのような質素かつ無駄のない内装で、そこがまた店員のベーグルに対する純粋な愛情を際立たせているようで好感が持てる。

 

すべて手作りであるのは当然ながら、原材料にもかなりのこだわりを見せており、遠くからわざわざ足を運ぶファンが多いのも納得。

そんな理由もあり、特段ベーグルが好きなわけでもないわたしも、しょっちゅう店に顔を出しては焼きたてのベーグルに舌鼓を打つのであった。

 

 

つい先日、マルイチベーグルに立ち寄った時のこと。仲のいい店員から小さなベーグルをオマケでもらった。全粒粉のベーグルで表面には白ごまがまぶしてあり、いかにも健康的な逸品である。

わが家には包丁がない(正確には、包丁はあるが使うことがない)ため、通常サイズのベーグルは店頭で半分にカットしてもらうのだが、このミニサイズならばその必要はない。小さなおにぎり程度の大きさゆえに、そのままモグモグ食べられるからだ。

 

さらに、ミニベーグルを包んでいるサランラップに、ニコニコマークが描かれている。急いでマッキーか何かで書いてくれたのだろう。たったそれだけのことでも、もらった側からすると単なるベーグルよりも価値が上がるから不思議である。

スタバの紙カップでも同様の現象が起きる。スタッフの心遣いで「Thank you!」とかニコニコマークが描いてあるだけで、受け取った客はほっこりと笑顔になる。カネをかけなくても、誰かを幸せな気持ちにすることはできる——その典型といえるわけだ。

 

そしてわたしは、そのニコニコマークのミニベーグルを持って帰ると、大切に冷蔵庫へとしまったのである。

 

 

数日後、そろそろあのベーグルを食べようと冷蔵庫へ手を突っ込んだわたしは、見事にカチカチになったミニベーグルを取り出した。

ベーグルに限った話ではないが、パンも米飯も一日経つと硬くなる。デンプンの老化によって硬くなるのだが、加熱すれば再び柔らかくなるわけで、これを糊化(こか)という。つまりこのカチコチのベーグルも、レンチンすれば再び、あのフカフカでモチモチの食感が蘇るわけだ。

 

わたしは早速、ベーグルをレンジへ放り込むと適当にスタートさせた。

(・・ご飯を温めるときと同じくらいでいいかな)

待つこと二分、レンジを開けると表面が熱くなったベーグルがチョコンと座っている。しかし裏返しにしてみると、上部ほど温まっていないことに気が付いた。そこで裏返したまま、もう一分加熱することに。

 

——チン

 

いよいよ、愛情たっぷりのミニベーグルを頬張る時がきた。マルイチベーグルのスタッフたちの優しい笑顔が思い浮かぶ。そうだ、せっかくだからオリーブオイルでもかけてみようかな——。

調味料不在の我が家において、唯一無二の存在であるオリーブオイルを引っ張り出すと、熱々のベーグルに垂らしながら食べることにした。

(なんか、料理してるみたいだな)

つい、笑顔がこぼれる。

 

加熱直後のベーグルは非常に熱い。そこでサランラップの端っこをつまむと、狙いを定めてテーブルへと放り投げた。

そして、素手でちぎるには相当の時間を要すると悟ったわたしは、年に一度使うか使わないかのナイフとフォークを探し出すと、欧米の貴族のようにカトラリーを駆使しながら、おベーグルをいただくことにした。

 

熱々モッチリのベーグルにナイフを突き刺そうとした瞬間——、

ガツン!

なんと、ベーグルが勢いよく床へと滑り落ちたのだ。正確には、カーリングのストーンのように勢いよくテーブルの端っこまで滑ると、そのまま落下したのだ。

 

いったい何が起きたのか理解できなかった。なぜベーグルにナイフが刺さらなかったのか、なぜベーグルがカーリングストーンになったのか。

混乱しながらも、わたしは床に転がるベーグルを拾いに走った。勢い余って部屋の隅まで滑っていったため、辺り一面に白ごまが散らばっている。そしてカーリングストーンを拾った瞬間に、答えが分かった。

(そうか、水分が枯渇した結果、さらにカチコチになってしまったのか・・)

理由さえわかれば怖いものなどない。わたしはカチコチのベーグルを水で洗うと、再びサランラップを巻いて一分加熱した。水分を与えられたベーグルは、今度こそふっくらモッチリ美味そうな姿を取り戻してくれるだろう——。

 

そして一分が経過した。わたしは急いでレンジのドアを開けると、モチモチベーグルに指を突き刺した。

(イテェッッッッ!!!!)

そこには中指が逆に曲がりそうなほどの、カチンコチンな花崗岩(かこうがん)が鎮座していたのである。さっきよりもさらに硬度を上げた、見事なカーリングストーンが出来上がっていたのだ。

 

そこでわたしはすべてを悟った。

要するに、加熱しすぎたのだ。そしてもはや、このベーグルが柔らかくなるなることはないのだ——。

 

しかし、マルイチベーグルの店員たちの笑顔と愛情がこもったミニベーグルを、己のミスにより廃棄することなどできるはずもない。ここは何が何でも、たとえ歯が折れようとも完食しなければならない。

 

 

こうしてわたしは、あらゆる歯を使ってカーリングストーンと化したベーグルを削り、その粉を飲み込むようにして平らげたのである。

ちなみに、フォークが刺さることもなければナイフで切込みをいれることもできない。役に立つ道具は己の歯のみであったことは、言うまでもない。

 

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