成功していない先輩から、「失敗した」と嘆く後輩へ。

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三月というのは旅立ちの季節であり、人生における新たなステージへと進む人は多いだろう。そして、たとえば単位が足りなくて卒業できなかったり、国家試験に合格できずに落ち込んでしまったりと、人生設計がわずかに狂ってしまったと感じている人もいるかもしれない。

 

だが、ハッキリと断言する。人生における一年や二年の空白は、その後の人生になんの影響も与えないどころか、そんな余裕すらない人生が楽しいはずもない。むしろ、誰も失敗したくないと思っているなかで、自分だけまんまと失敗してやったのだから、秘密の脇道を発見したかのごとくほくそ笑むべきなのだ。

 

多くの人間が親や大人によって敷かれたレールを黙々と進む中、自らの手で見つけた秘密の脇道こそ、何にも代えがたい宝の道となるのだから。

 

 

海外では「学び直し」が当たり前に行われている。たとえば、OECD各国で25歳から64歳のうち、大学など学校教育体系に含まれる教育機関で、フルタイムの教育を受けている人の割合を見ると、日本は断トツで底辺をひた走っている。

内閣府発行の「平成30年度年次経済財政報告/学び直しの国際比較」によると、トップのイギリス、次いでアメリカやカナダが、約15%の割合で教育機関で学び直しを実施しているのに対して、日本は2.4%と少ないにもほどがある。OECD平均でも10/9%なので、いかに日本が企業に固執している、いや、固執させられているのかが浮き彫りになる。

 

日本人は勉強嫌いではないはず。むしろ、各方面におけるマニアが存在するほど、じつは勉強熱心な民族だと思う。にもかかわらず、なぜリカレント教育においては世界でも群を抜いてビリにいるのかといえば、「雇用の在り方」に問題がある。

長期間、就労から離れて大学などで学業に専念する場合、その間の収入の確保や企業内での地位や昇進について、いずれも保障がなければ実行できないだろう。しかし現状、日本では個人レベルで貯蓄をして、会社を退職するといった「決死の覚悟」で学び直しを行うわけだ。

 

わたしの周りでは、学び直しによってその後のキャリアに大きな変化をもたらした人間がほとんど。たとえば、妻子を養いながらも失業給付とわずかながらの貯金を切り崩して、必死に大学へ通った友人がいる。しかし彼は、自身で会社を設立し立派な業績を残すまでに成長したわけで、苦しい思いはしたが、それでも学び直しをして良かったわけだ。

 

とはいえ、一個人がこんな苦労をしてまで、家族に迷惑をかけてまで学び直しをする必要があるのだろうか?・・こう聞かれれば、「そんなことを無理にする必要はない」というのが大方の意見だろう。だから、日本はダメになったんだ。

そもそも、二十歳そこそこまで暗記中心の勉強を詰め込み、社会へ出たら二度と学ぶ機会はありません!という仕組み自体がおかしい。ある程度の経験を積み、自ら学んでみたいことや就いてみたい仕事を見つけた頃には、社会の歯車の一員として、決して抜け出すことのできない奴隷の道を歩かされている。

・・これが素晴らしい社会、素晴らしい人生といえるのだろうか?

 

 

というわけで、卒業できないとか国家試験不合格といった「絶望」を突き付けられた諸君、今日一日くらいは落ち込むといいが、明日になれば過去の出来事の一つにしかすぎないわけで、来年の今日に向けて歩き出すといい。

勝負に負けた、失恋した、挑戦に失敗した…。なんだって同じだ。明日になれば過去の出来事となり、その繰り返しで人生が成立するのだから。

むしろ、失敗のない人生のほうが恐ろしい。失敗を恐れて小さく生きることしかできない人間になってしまったら、それこそつまらない毎日しか過ごせない。

 

長いこと生きてきたわたしは、むしろ失敗しか記憶にない。なに一つ、上手くいったことなどない。そして失敗したことを、なんとか成功に見せかけているのが今である。

いい大学を出て、新卒で一流企業に入社して、3年目に「思っていたのと違う」「鬱になった」といって退社するのも、ある意味仕方のないことだろう。そしてそこから、新たな社会人人生が再スタートとなるわけで、何もおかしくはない。

だったら、社会人スタートが一年遅れようが二年延びようが、まったく問題ないではないか。そもそも、一つの企業で定年まで居座ることが「素晴らしいこと」ではないということに、早く気付いてもらいたいわけで。

 

メインの太い道から延びる細い脇道というのは、よく見ると実はいくつもある。そしてその細い道を進めば、なにかお宝が見つかるかもしれない。もちろん、行き止まりかもしれないし、落とし穴が掘られているかもしれない。

だが、行き止まりでも落とし穴でもいいじゃないか。体験した者にしか知り得ない珍事や冒険は、多いほうが会話も盛り上がるし、飲み会で人気者になれる。

 

他人が決める「失敗」なんて、本当の失敗ではない。自分自身の「糧」になるのならば、それがどうして失敗だといえるのか。

さぁ、今日からが奇妙な人生の第一歩だ。細く曲がりくねった脇道を、しっかりと踏みしめながら進むんだ!

 

Illustrated by 希鳳

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