ふとスマホを見ると、LINEの未読が100件を超えていた。しかもみるみる、未読の数が増えていくではないか。いったい、どんな嫌がらせだ?
慌ててLINEのアイコンをタップすると、そのほとんどは母親からだった。
(ま、まさかボケてしまったんじゃ・・・)
一人っ子の私は、両親のことで頼れる兄弟姉妹はいない。それどころか、実家のある長野には親戚すらいない。
父も母も長野の人間ではないため、近くに親族がいないのは当たり前なのだが、もしものことがあったらどうすればいいのか、今さらながら不安に襲われる。
恐る恐る母のアイコンをタップすると、ものすごい数の画像が送られてきている。そう、フレンチブルドッグの乙(オツ)の画像だった。
(まさか、乙が死んだのか?!)
ペットショップで乙を購入した時の画像にはじまり、長野へ連れて行った頃から最近まで、大量の乙が送られてくるのだ。しかも、LINEを開いた今もまだ、続々と送信されてくる。
しかたなく、画像を最初から確認することにした。まだ幼い表情の乙が、スリッパに噛みついている。
「2012年2月6日、可愛い。幼さがありますね」
「2013年12月6日、朝起きたら乙は、アイロンをかけるお父さんのそばに寄って行ったよ」
このように、日付と共にコメントが添えられているのだ。ざっと目を通しながら、直近の画像まで追いついた。どうやら乙が死んだとか、母がボケたとか、そういう話ではなさそうだ。
ひとまず安心した私は母に電話を掛けた。
「あのー、この画像はいつまで続くのでしょうか?」
すると母は、
「あら、ごめんね。今ヒマだったから、乙の写真を整理しようと思って送ってたのよ」
と答えた。つまり、大量の乙の画像を私に送りつけることで、イコール画像がうまいこと保存されると考えたのだ。まるでアルバムのように、私がうまいこと整理してくれると思ったのだろう。
「乙のアルバムの作り方、前に教えたよね?」
「うん。でもああいうのじゃなくて、ペラペラめくりながら乙を見たいの」
なるほど。要は乙のフォトブックを作れということか。どうやら母は、スマホで一枚ずつ乙を見るよりも、紙写真のアルバムのように一冊の本として乙をまとめたいのだそう。
その気持ちは分からなくもない。単にデータ保存としてならば、フォルダに画像をボンボン放り込めばいいだけのこと。
だが懐かしい思い出を振り返る時など、やはり全体的に眺めることが重要。スマホの画面越しでは、アナログな思い出もデジタルになってしまうのだ。
(しかたない、親孝行だと思うしかない・・)
さっそくネットで、紙のフォトアルバムを作ってくれる業者を探した。すると、あるわあるわ。選ぶのが大変なくらい、たくさんの関連サイトが現れた。
表示順にパラパラと目を通しながら、私はとあるアプリをダウンロードしてみた。なんと、簡単スリーステップでオシャレなフォトブックが完成するらしい。
今どきのアプリは、スマホに保存している画像を共有したり、他のアプリと連携させることで個人情報の入力が省略できたりと、かなり手間が省ける仕組みとなっている。
無論、セキュリティーの観点からは色々と問題があるだろう。とはいえ、社会的ヒエラルキーの底辺にいる私にとっては、セキュリティーよりも便利さのほうが上回るため、ホイホイ喜んで個人情報を共有してしまうわけだ。
アプリの指示に従って画像を選択すると、フォトブックのタイトルをつける画面が現れた。大した案も浮かばないが、無難なところで「乙、長野へ行く。」という感じでどうだろうか。
そして最後に全体チェックのページが現れ、プレビュー画面でフォトブックを確認する。まるで立派な業者が作成したような、売り物としても十分通用するくらい、シャレた仕上がりの写真集が出来上がっていた。
(卒業アルバムも、こんな感じで作れば5分で完成するな・・)
どれほどデジタル化が進んでも、やはりどこかで「実際に手にするリアル」を求めるのが人間。この先も紙媒体は、細々とではあるが脈々と受け継がれていくのだろう。
そして今回、乙の画像が多すぎるため、フォトブックを2冊に分けることにした。さらにタイトルを、「乙、長野へ行く。」と「乙、長野で暮らす。」にしたため、早くもシリーズ化が決定したわけだ。
こうして私のアナログ親孝行も、細々と続くのであった。
コメントを残す