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「以上のことは嘘である。
嘘に決まっているではないか。なんで、私はひからびたミミズの死骸である、なんていう言葉をそのまま鵜呑みにしようとするのですか。」
ーーこの一文を読んだ時、本当に、どうやって証明したらいいんだろう、と焦った。
私は数週間前、この「以上のことは嘘である」手法を使って自叙伝をうまくゴマカスと決めていたのだ。
友人にも、
「このやり方なら私の異端(私自身はそんなこと思ってない)ぶりが、うまくごまかせる」
と宣言していた。
が、時すでに遅し。
清水義範さんは、1996年にはこのことを世間に発表しているので、完全に私がパクった形になる。
仕方がないので、別の言い回しでごまかさなければならない。
ごまかさなければならないような内容を書かなければいい、とならないのが私だ。
語末を「です、ます」にしなくていい。
自分のことを「筆者」と呼ばなくていい。
小難しい「エビデンス」をつけなくてもいい。
そう言われた時の解放感たらなかった。
普段書いている原稿は、こういった条件がついているため、自分ではない自分が担当している。
その指示を出すのは、私専用の曲者(クセモノ)編集長。
私が文字を書かなくなるラストは、彼への感謝を込めた呪詛で終わらせる覚悟だ。
***
かなり前、水道橋の交差点で木公と待ち合わせをしていた。
なぜ水道橋かというと、多分、
WINS(JRAの馬券売り場)か、焼肉京城か、LECで社労士講座か。
いずれにせよ大した用事ではなかった。
私はこう見えて社労士だ。
社労士なんて職業があることを当時は知らなかったが、とある公認会計士に、
「弁護士か社労士の資格取ってきてくれ。
クライアントが待ってるんだ、すぐに!」
と言われた。
いやいや、弁護士はロースクールあるしすぐって無理ですよ。
「そうか、じゃあ社労士でいいから早く!」
ということで、しゃろうし?とググって、一番上に出てきた予備校=LECに申込みをした。
試験まで期間もなかったので、社労士講座のDVDを1.5倍速で見まくった。
その結果、トントンと肩を叩かれハッと起きると、
「閉館なんで・・・」
と、ガードマンに起こされる日々を繰り返した。
試験勉強など居眠りこそが醍醐味だが、それにしても頭に入ってこなかった。
私は暗記が得意なので、とにかく語呂合わせとカンニングに徹することを決めた。
…そんな受験生。
話を水道橋の交差点に戻そう。
信号待ちの向こう側に、木公が見えた。
早く変わらないかなーと思っていたとき、
「あのー、ちょっといいですか?」
幸の薄さでは誰にも負けません!というオーラを放つ女性が、声をかけてきた。
(なに?信号変わるまでならいいよ)
「手相の勉強をしていて。
あなたから強いオーラを感じるので、勉強のために見せていただけませんか?」
オメーに他人のオーラが見えるなら、手相よりそっちを磨いたほうがいいんじゃないの?と正論をかましつつも、
「いいよ」
と答えた。
そして私の手相を見るなり、
「こ、これは!
100人に一人、いや、もっと珍しい手相です!
ぜひとも私の先生に見せたいです。
一緒に来ていただけませんか?」
と、その女性は大袈裟に驚いて見せた。
もうじき信号が変わろうとしている。
「んー、いくらで?」
「いえ、お代はいただきません!
本当に珍しい手相なので、ぜひ先生に見ていただきたいだけです!」
・・・・・・。
キミはなにを言っているのかな?
私は大きく息を吸い込み、ワナワナと震える手をギュッと握った。
そして、
「テメーがいくら払えるか聞いてんだよ!!
アタシの時間拘束すんのに、テメーがいくら払えるのか、ってはなしだよ!!!
寝ぼけたこと言ってんじゃねーよ!」
ーー信号は、あと数秒で青になるところだった。
その数秒前に、彼女はヤバイ奴の地雷を踏んでしまったのだ。
それこそが幸薄い所以なのだろう。
その女性はアワワと立ちすくみ、信号待ちをしていた数十人は全員うつむき、完全にシカトを決め込んでた。
信号が青になった。
誰もが我先に足を踏み出し、私もその雑踏に紛れながら木公に手を振ったそのとき、
木公が全力で逃げて行った。
「俺は基●外の知り合いじゃない!!」
と、捨て台詞を吐きながら。
***
以上のことは、嘘である。
…と、シメるつもりだった。
だが、清水義範さんのパクリだと批難されるのが怖く、別の言い回しにするしかない。
以上のことは、半分嘘である。
以上のことは、ほとんど嘘である。
以上のことは、本当ぽいが嘘である。
結局、何が言いたいのかというと、
私のことを、「おかしい」「変わってる」「奇妙だ」という人が多い。
しかし私にしてみたら、こんなことは日常茶飯事の出来事だ。
なにがおかしいのか、皆目見当がつかない。
だって、嘘だから。
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