汚っちゃん  URABE/著

Pocket

 

ーー親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている(原文ママ)。

 

そうだ、おれはいつだってそういう人生を歩んできた。それが悪いとも思っていないし、その結果がどうであれ大した問題ではないからだ。

そして38歳のオッサンとなったおれは、家も仕事も家庭もない。

 

ここ最近は季節が春へと移行したため、路上生活の苦しさも和らいだ。とはいえコロナの影響もあり、人間が外で活動をする機会が減ったことは、おれの生活をさらなる貧困へと導いている。

 

おれの棲み処は東京のど真ん中、港区にある芝公園。金持ちの住む街だけあって、公園内は整備されており住み心地は悪くない。

だが面倒なのは「公園監視員」なる奴らの巡回だ。定年退職後の老いぼれどもが数日に一度、公園内をうろついてはおれを突いてどかそうとする。そのたびに、斜向かいにある港区役所へ避難しては時間をつぶす。

 

ーーウッ、また来た。

監視員ではない、腹痛の波が襲ってきたのだ。

ここ数日下痢が止まらない。思い当たる節といえば、3日前に食ったシラスの握り飯が腐っていたことくらいだ。

 

金のないおれは当然のことながら、ゴミ箱を漁って食糧を確保する。特に花見のシーズンは、浮かれたポンコツどもがこぞって食い物を捨てていくから、おれにとっては棚ぼたシーズンとなる。

 

そしてありがた迷惑なのが「手作りの握り飯」だ。これは食えば美味いこと間違いなしだが、いかんせん日持ちしない。

コンビニの握り飯ならば一週間は余裕だが、保存料の入っていない握り飯だと今時分は2日でアウト。

 

だがあまりに美味そうな握り飯(シラス飯でできていた)が丸ごと捨ててあるのを、おれは見逃せなかった。

 

鼻を近づけるとツンと異臭がする。

まぁ生のシラスを温かい白米と混ぜてるわけで、悪くなって当然だ。

 

次いで一口、かじりついてみる。

米かシラスか分からないが、ヌルっとした舌ざわりに一瞬、咀嚼を止める。さらに口内にまとわりつく、ヌメっと糸を引く感触に思わず舌打ちをする。

しかし危険信号となる「味の刺激」はないため、もう少し食べ続けてみる。

 

2口、3口と握り飯を口へと運ぶ。慣れてくるとわりと平気だ。

今この瞬間、この握り飯は美味くはない。だが出来たてのこいつは間違いなく美味いだろう。ホカホカの白米にやや塩気のきいた新鮮なシラス。それをたらふくほおばる自分を想像しながら、おれは握り飯を平らげた。

 

その後も色々口にしたため、下痢の原因が握り飯のせいかどうかは定かではない。だがこの生活9年目を迎えるベテランが、滅多に犯さないミスを犯したといえば、あのシラスしか思い浮かばない。

 

5分と待たずに腹痛はやって来る。その都度、公園内のトイレへ駆け込む。昨日など雨も降っていたので、バリアフリートイレ(かつては多目的トイレと呼ばれていたが、今では呼び方を改めたらしい)に籠(こも)りっきりで一日を過ごした。

 

排泄物は固形を微塵も感じさせない水様便。便とは思えない、白っぽく透明でサラサラした液体を絞り出しながら、おれはなぜ生きているのかを考えた。

 

思えば生きにくい世の中になった。

たとえば公共施設の敷地内にある、椅子代わりになりそうなブロックやオブジェ。あれらはここ数年でどれも尖った形に変えられた。そこに座るな、寝るな、長居するなということだろう。

 

アスファルトに座り疲れたおれは、直角に刈り込まれたつつじの植え込みに、倒れ込むようにダイブした。

ーーおぉ、フカフカしていて気持ちいい。

スプリングの効いたベッドに寝転がっているようだ。見上げる先には青空。こんな幸せな環境があったなんて。

 

ビシャッ

 

急に雨が降ってきたのか。慌てて起き上がると、公園監視員がおれに向かってホースで水を撒いている。

今どきはこうやって、直接手をくだすことなく人間をどかすのだ。水だって立派な武器じゃないのか。

 

公園内の水道も対策をされた。これまでは蛇口ハンドルをひねればずっと水が出ていたが、今はひねっている間しか出ない。

おかげでおれは、ここで頭や体を洗うことが難しくなった。その結果、年中すえた臭いを発することとなったのだ。

 

ーーおれはなぜここにいるんだ。

生きたいわけでも死にたいわけでもない。正確には、そんなことを考えるほどの気力もない。何がしたいわけでも、どうなりたいわけでもない。ただ、何もしなければ今日が終わり明日が来る。それだけだ。

 

好き好んでこの生活をしている、といえばそうかもしれない。じゃあどこが好きなのかと聞かれれば、どこも好きではない。最悪だと思うし望んでこうしているわけではない。

 

ーーできることならば立ち止まりたい。それが許されないだけで。

 

このまま水も飲まずにあと数日過ごせば、脱水症状の悪化による肝不全か腎不全で死ぬだろう。

そして死ぬ間際におれが思い出すことは、この便座が暖かかった、ということだけだ。

 

 

(完)

 

Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です