フルーツが送られてくると嬉しい。
昨日は桃が、そして今日はさくらんぼが送られてきた。
桃は見事な色艶と大きさだったが、食べるまでに2、3日待ったほうがいい、と言われた。
だがその言葉を聞く前にかじりついていたので、まさか硬いまま食べたとは言えずに生返事をした。
関係ないが、わたしは桃を皮ごと食べる。
丸ごと桃を洗い、キッチンペーパーで軽くゴシゴシすると、表面の毛が取れて食べやすくなる。
魚も皮が美味いが、フルーツも皮が美味い。
ということでバナナやパイナップル以外は、皮ごと食べるのである。
ベストな食べごろより数日前の桃というのは、触っただけでわかる。そう、まだ硬いのだ。
この硬さで食べるものではないことくらい、わたしにもわかる。
だが、味よりも肝心なのは歯応えだ。
特にフルーツは硬めがいい。バナナは青いまま食べるし、イチゴもシャキシャキした状態を好む。
つまり、食べごろより数日前の桃が、わたしにとっては食べごろなのだ。
立派な桃に癒された翌朝、ヤマトのクール便が届いた。なんと今度はさくらんぼだ。
連日届くフルーツに歓喜しながら、さっそくフタを開ける。
(・・・・・)
フルーツとは非常に繊細な、箱入り娘のお嬢さまである。配達途中の温度や振動であっという間に傷んでしまうもの。
そんなことはわかっている。
とはいえここまで色が変わり、疲れ果てた老婆のようなさくらんぼを、はたして送り主は想像しているのだろうか。
食べられそうなさくらんぼを一つ二つ見つけると、つまみ上げて口へと放り込む。
(熟れすぎてる・・・)
やや発酵した、酸味のようなアルコールのような、ムンとした味が舌を刺激する。
ーーこれ以上は食べられない。
送られてきた大量のさくらんぼが食べられないことは、残念だが仕方ない。
だがここで問題となるのは、この事態を送り主へどう伝えるべきか、ということだ。
例えば昨日の桃の場合、綺麗に撮影した画像とともに礼を伝えた。すると送り主は、
「美味しそうな桃でよかった」
と安堵の様子。
そりゃそうだ。決して安くはない採れたての桃を吟味して送ったはずなのに、ちんちくりんでへちゃむくれの桃が届いていたら、果樹園に殴り込む勢いだろう。
つまり、送り主のプライドにかけても、見事な桃が届かなければならないわけだ。
ところがこのさくらんぼはどうしたものか。
色んな意味で気を遣わせるシロモノじゃないか。
写真を撮ってみたが、どうみても茶色く黒ずんださくらんぼがどっさり写っているだけで、お世辞にも美味そうには見えない。
むしろこの画像に「美味しそうな」などと言葉を添えようものなら、完全な嫌味でしかない。
では画像を加工してはどうか。
全体的にトーンを明るくし、フレッシュに見える編集をするも、やはりこげ茶色のさくらんぼはどうしたって腐敗してみえる。
(むしろ、画像など送らないほうがいいのではないか)
そうだ、わざわざ加工してまで画像を送る必要はない。ただ一言「おいしかった」と伝えればいいじゃないか。
しかしながら礼儀とはいえ、嘘をつくことが正しい対応なのだろうか。
送り主だって自らが選んださくらんぼを送ったわけではない。店側が箱詰めして発送したわけで、どんなさくらんぼが届いたのかなど知る由もない。
であればここは一つ、事実を伝えることも選択肢としてはアリなのではなかろうか。
送り先がわたしだからいいが、もしも大切な人やクライアントへのギフトならば大変なことになる。
店側にとっても、きっと何かの手違いで完熟しすぎたさくらんぼを送ってしまったのだろうから、今後の検品作業における参考になるかもしれない。
(よし、当たり障りのない文言とともに画像を送ろう)
そう決めたところで、送り主の顔が浮かぶ。
(いや、ダメだ。こんな粗悪品が届いたなんて、とても言えない)
なぜ送られた側がこんなにも気を使わなければならないのかわからないが、それでもやっぱり、事実を伝えるのはあまりに酷だと判断。
10分ほど考えたあげく、このようなメッセージを送ってみた。
「さくらんぼが届いたよ、ありがとう。超完熟していて、もしかすると発送時点が食べごろだったのかな?なんて思いました(笑)。」
嘘偽りのない文章だ。
これを読んだ送り主は、激怒して店にクレームの電話をかけたらしい。
とどのつまりは、どう伝えても結果に変わりはなかったようだ。
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