注文の多い餃子店  URABE/著

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よく「作品には作家らしさが出る」というが、とくに食べ物はその傾向にある。

 

俺が「あの女(ヒト)」を強く感じたのは、冷えた餃子を食べたときだった。

焼きたてどころか冷蔵庫で一日寝かせ、冷たくちんまりした餃子を口にしたとき、あの女(ヒト)のすべてが伝わってきた。

 

 

「マリリンの餃子が美味い」という噂を聞きつけ、俺は千葉まで車を飛ばした。

 

そもそも餃子なんてものは、小汚い店内で丸椅子に腰かけながら、店主のおっちゃんが雑に焼き上げたちょい焦げを、ハフハフ言いながら食べるのがオツ。

それを「マリリン」とかいう、ハーフかクオーターの女が作った餃子の味など、たかが知れている。

「中華の道50年」のおっちゃんに、敵うワケがないのだ。

 

食べる前から低評価で申し訳ないが、俺は餃子にはうるさい。

餃子に限らず、食い物の評価は極めて厳しく正直であると自負している。

たとえどんなに世話になった人が作った料理であっても、美味くなければそう伝えるまでだ。

 

そして訳あって、「マリリンの餃子」を試す機会を得た。

 

他人の評価など当てにならない。とくに「美味さ」というのは主観的な要素が強く、誰もが「美味い」と言うからといって、俺が美味いと感じるかは別の話だ。

しかし今回は、直感的に「食べなければならない」と感じる何かがあった。

 

ガッカリしてもいい、まずは一度食べてみようーー。

 

 

商売っ気がない、というより、

「アタシの餃子が食べたいのなら、ここへ来なさいよ」

と言わんばかりの、店とは思えないほど質素な店構え。

 

店主の名はマリリン。

本名ではなさそうだが、どこか日本人離れした雰囲気と美貌を持っている。歳はいくつか知らないが、実年齢より10歳くらい若く見えるだろう。

 

「早く作れったって、作れっこないのよ。生地練って寝かせて、急いでできるもんじゃないのよ、この餃子は」

 

マリリンがドスの利いた口調で説明する。

ーー美人がそうやってしゃべると、エロさが増すな。

俺は余計なことを考えながら、マリリンとの会話を続ける。

 

「美味いなんて言葉、誰でも言えるのよ」

 

ほぅ、興味深い発言だ。

 

「うちの餃子を一人で30個以上食べた女子がいたけど、それが答えよ。悪いものが入ってないからいくらでも食べられる、それが真実なの」

 

なるほど。うまい、まずいはあくまで「好み」の問題。いくらでも食べられる、つまり胃袋が欲することこそが、食べ物としての安全性を示している。

 

生餃子10パックを受け取りながら、俺の口内は唾液で溢れた。

ーー早く食べたい、一刻も早く試してみたい。

 

「この皮、卵も使ってないのよ。モチモチ感を出すのに、中華の有名なシェフ連れてきて何度もサンプル作らせたわ」

 

話を聞くとマリリンは某有名栄養専門学校を出ており、そこで講師も務めていた様子。さらに海外でインスピレーションを磨き、帰国後には管理栄養士らに指導をしてきた経験がある。

 

「今どきの子はね、片栗粉と小麦粉の区別もつかないのよ」

 

色っぽい目で俺を見る。どこか夏木マリに似てる。

 

「アタシと主人はね、金もうけなんてどうでもいいの。ただ料理の世界で生きてきたからには、次の世代へつながなきゃいけないと思ってるの」

 

マリリンの夫はフレンチのシェフだったのだそう。

そういえばさっきから、温厚そうな紳士がキッチンの奥で作業をしている。

ーー彼がご主人か。

 

「本当にいいものを食べてもらわなきゃ伝わらないでしょ?化学調味料なんかで味を調えたって、本当の美味さなんてわかりっこないのよ」

 

日ごろから化学調味料で舌を慣らされている現代人。そうじゃないものを口にする機会など、ほとんどない。

 

マリリンの言う「本当の美味さ」って、何なんだ。

 

 

帰宅するなり、すぐさま餃子を焼いた。

「昭和」と「平成」というシャレた名前の2種類の餃子。とくに昭和が醸し出す「肉肉しさ」に、俺はやられた。

 

焼く前の生餃子はちょっとしたお手玉のよう。

ズッシリとした重みのある具。それを包み込む生地は薄手でモッチリしており、何とも言えない触感。

 

そして具材の味付けが完璧にされているため、余計な調味料は一切不要。

醤油だのラー油だの酢だの、何のために存在するのか不明なくらい、この餃子は餃子だけで完成されている。

 

ーー自然からできたもので味付けしてる、って言ってたな。

 

マリリンの鋭い瞳がよみがえる。あれほど自信満々に宣言できる裏には、これほどの完璧な餃子があったからなのだ。

 

その時ふと思った。

明日はどうだろうーー。

 

俺はいじわるも兼ねて「昭和」を6個、冷蔵庫へ閉まった。

 

 

翌朝。冷蔵庫を開けるも、餃子には手を付けずにスルー。

 

ーーまだだ、まだもう少しそのままに。

 

これでもか、というほど「昭和」を冷蔵庫で冷やし、最悪のコンディションに追い込んでから味わってやる。

それでこそ、真の美味さが分かるだろう。

 

そして夕方。冷蔵庫でちんまり硬くなった「昭和」を引っ張り出してきた。

レンジで温めるなんて野暮なことはしない。この冷たい屍(しかばね)のような餃子を味わいたいのだ。

 

すべての「美味い要素」をそぎ落とした、最悪の状態の餃子をーー。

 

白い衣を纏(まと)った冷たい肉の塊を一口、かじる。

細かく刻まれた具材から放たれる確かな風味と歯ごたえ。しっかりと練り込まれ味付けされたひき肉のジューシーさ。そしてねっとりモチモチの美しい白い皮。

 

冷たい「昭和」を噛みしめながら、俺はまぶたを閉じた。

そこにはマリリンが笑っている。

 

「だから言ったでしょ?これが本当の『美味い』なのよ」

 

ーーあぁ、俺の完敗だ。

 

もう言葉などいらない。マリリンが何を伝えたかったのか、この冷めた餃子を味わうことですべて分かった。

体が欲するもの。

それこそが真の食べ物であり、真のおいしさなのだ。

 

ありがとうマリリン。また、会いに行くよ。

 

(完)

 

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