加熱調理を覚えたハンプティダンプティ

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ここへきてわたしは、野生動物からヒトへと確実に進化した。

ヒトと動物の大きな違いといえば「意図的に火を使えるかどうか」だろう。ちなみに、人類が生活の一部として火を使うようになったのは、今から40~80万年前とされており、あまりに昔の話すぎていまいちピンとこないのだが、当初は落雷による発火や火山など自然現象により発生した火事の「火」を持ち帰り、その火種を協力しながら守り継いだのだそう。

 

そして、火という存在を得たことで人類は大きな進化を遂げた。たとえば夜間の行動が可能になったり、寒冷地でも生活できるようになったり、加熱により毒や寄生虫を減らすなど食の環境が改善されたり、今となっては「火のない暮らし」など考えられないほど、文化や歴史を支える重要なアイテム(要素)となった。

そんな「火」の使い道のなかでも、加熱処理という方法に目覚めたわたし——とはいえ、実際にガスコンロで炎を発生させることはない(怖い)が、電子レンジにて加熱することで、生のままでは食べられない食材を見事に調理する術を覚えたのである。

(こういうことは、誰かにやらされて出来るようになるのではなく、自ら頭をひねって絞り出した解決策こそが、自身の成長を促す糧となるのだ!)

 

きっかけは、友人から大量のキノコと極太のサツマイモ、そして立派なニンジンと大振りのスナップエンドウをもらったことだった。

中でもキノコは、握りこぶしほどの立派なシイタケを10個と、人間の頭頂部ほどありそうなマイタケを2株という、一人暮らしの女性にとっては有り余るほどの量であるため、どうにかしてキノコを先にやっつけなければならない・・という必然に迫られた。

おまけに、シイタケとマイタケは生では食べられない・・おっと、サツマイモとスナップエンドウも生では食べられないため、どうにかして加熱処理を施さなければならない——ならば、レンジでチンするしかないだろう。

 

というわけで、レジ袋二つ分の食材を並べたわたしは、「まるで馬のエサにしか見えないな」などと悪態を吐きつつ、もらったキノコと野菜を耐熱ボウルにぶち込むと、5回に分けてレンジにて加熱調理を開始した。

 

野菜というのはそのほとんどが水分でできているため、加熱と同時に体積が減って食べやすくなる。特にニンジンなど、生のままでは2本も丸かじりすれば腹が膨れる・・というか飽きてしまうが、レンジで10分ほど熱してやるとシナシナの食感かつ甘みが濃くなることで、4本くらいペロリと平らげることができる。

ところが、加熱したところで体積的なビフォーアフターの変化がない輩がいた——そう、シイタケとマイタケだ。キノコというのは熱したところでさほど小さくならず、繊維質のタフさを保ったまま雁首揃えて耐熱ボウルに寝そべっているではないか。

(ヤバイ・・想像以上にキノコが多すぎる。そもそも、こんなにも大量のシイタケやマイタケを食べたことなどないが、全部いっちゃっても大丈夫なのだろうか)

 

以前、キウイフルーツを一気に12個食べたことがあるのだが、その後、時差を経て襲いかかってきた想像を絶する膨満感には、さすがのわたしも死を覚悟した——あんな思いは二度と御免である。

とはいえ、キノコは食物繊維が豊富な食べ物ゆえに、チアシードのように腸内で10倍に膨らむ・・というような暴挙に出ないとは言い切れない。だが、半分食べて残りは明日へ持ち越すというのも気が引ける——仕方ない、いけるところまでいってみよう。

 

こうして、「頭がおかしい」と言われも否定できない量のシイタケとマイタケおよびサツマイモとスナップエンドウに加えてニンジンまで加熱調理したわたしは、レンジから取り出した完成品の数々を見降ろしながら優越感に浸っていた。

なぜなら、これまでは生で食べられるものばかりを選んで齧っていたのに、ここへきて「加熱」という画期的な手段を自ら率先して行ったのだから、なんというか鼻が高いに決まっている。しかも、食材を丸ごと・・という部分に関しては「馬のエサ」と同じだが、その調理方法はヒトにしかできない高度なテクニックであり、「昨日までのわたしとはひと味違う」という自信に満ちていた。

 

そして、調味料に頼ることなくダイレクトに食材を咀嚼する・・というダイナミックな食べ方で、新鮮なキノコや野菜を次から次へと胃袋へ送り込むのであった。

 

 

翌日、わたしの腹が卵(ハンプティダンプティ)のようになったのは言うまでもない。

 

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