ショートスリーパーが損をしている理由

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(なるほど、その通りだな・・・)

妙に得心が行ったわたしは、そのメッセージを眺めながら眠りに落ちたのである。

 

 

周りと比べると睡眠時間が短いわたしは、5時間以上眠ることができない。だがこれは"腰が悪いこと"も影響している。寝返りが打てないわけではないが、長時間横になっていると背中や腰が痛くなるため、フィジカル的にも5時間以上の仰臥位あるいは側臥位は厳しいのである。

それに加えておよそ3~4時間で勝手に目が覚めるため、頑張ってまぶたを閉じたところで頭は冴えわたり聴覚は敏感になり、とてもじゃないが眠れない。だからこそ、たくさん眠れないことにより"損をしている"と感じているわけだ。

 

「最低でも8時間は寝ないと、目の下にクマができる」という友人は、一日の三分の一を寝て過ごす人生について"損をしている"と主張した。当人いわく「もしも4時間睡眠で十分ならば、残りの20時間を活動時間帯に当てられるわけで、そしたらもっと趣味の時間を増やしたり金儲けができたりするのに」とのこと。

まぁ確かにその通り・・と頷ける部分もあるが、わたしからすると逆である。なぜなら、眠ることを不快に思うニンゲンなどおらず、むしろ睡眠により快適で幸せな時間を過ごせるならば、そんな豊かな時間を多く確保できる人生のほうが、どう考えても得をしているからだ。

 

生き物にとって睡眠が必要不可欠な行為(欲求)であることは間違いないが、それが心地いい状態——とくに入眠時の緩やかに落ちていくあの感じは、紛れもなく幸福感を伴っており、そんな一石二鳥な状態で満たされる睡眠こそ完璧な欲求といえる。

おまけに、生理的欲求の中で唯一現実逃避できる欲であることも見落としてはならない。覚醒時に現実へ引き戻される憂鬱さはあれど、眠っているときが不幸だったとは思わないわけで、それすなわち"睡眠を後悔することはない(寝坊により予定が狂ったとしても、眠りの最中の幸福感を否定するものではない)"といえる。

これらの条件からも、最強の欲求というのは睡眠以外にあり得ないのである。

 

そして、強欲かつ欲に対して素直なわたしは、少しでも眠くなったら抗うことなく目を閉じている。そもそも短い睡眠時間なのだから、せめて「眠気を感じたらすぐさま寝る」というくらいの配慮はしたいからだ。

その典型・・といったら語弊があるが、とある友人からのメッセージを読んだ瞬間に脳がスリープモードに切り替わり、とても安らかな気持ちで眠りに落ちたのである。そして今、目が覚めた——というのがここまでの時系列的な流れ。

 

他愛もない内容ではあるが、それまでモヤモヤと渦巻いていたわだかまりが解けた途端に、「これでもう、今日が終わっても悔いはない」と脳が認識したのだろうか。スマホを握りしめたまま、わたしは現実世界から旅立ったのだ。

 

 

実際には二時間半程度の睡眠だったが、脳はスッキリと整理され、身体もいい感じに修復されたのを感じる。とはいえ時刻は深夜2時すぎなので、「もうひと眠りするか・・」と再び目を閉じてはみたものの、わたしにとってはすでに十分な睡眠だったのだろうか。これ以上は眠れそうにない状態であることが、すぐにわかった。

そして改めて思うのだ。あの心地よい状態をもっと維持したかったのに、なぜわたしはたったの二時間半で現実へと引き戻されてしまうのか——と。

 

起きていれば楽しいことや面白いことがある反面、嫌なことや辛いことも起こる。必ずしもポジティブな結果に繋がらないのが現実世界であり、だったら眠っているほうが幸せだろう。

最近では「明晰夢(めいせきむ)」といって、「自分が見ている夢を"これは夢だ"と自覚する方法」についての研究が進められている。これにより、悪夢の最中でも「大丈夫、これは夢だから」と自らコントロールすることで、意図的に恐怖や不安を軽減できるのだ。

とはいえ、どんな夢でもいずれは覚めるもので、「あぁ、夢だったのか・・」とホッとするのも現実世界のいいところかもしれない。だからこそ、眠りに落ちる瞬間のあの感覚は、言葉にできないほどの幸せと快楽を覚えるわけで。

 

(ていうか、せめて明るくなるまでは眠りに身を委ねたいのだが・・・)

 

残念ながら、真っ暗な夜空とともにわたしの長い一日が始まるのであった。

 

Illustrated by 希鳳

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