オンナが選ぶギフトと、オトコが選んだ場合の明確な違い

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「重要なのは、そこに気持ちがこもっているかどうかだ」

などと偉そうに語る野郎がいるが、わたしの個人的な意見としては「気持ちなどという得体の知れないぼんやりとした概念より、はっきりとした形で示せ」というのが本音である。

そして先日、ブラジリアン柔術の試合で優勝したり黒帯に昇格したりしたわたしは、周りから「おめでとう」と言われる機会に恵まれた。仮に、社交辞令として祝福されたとしても悪い気はしないわけで、祝福や感謝というのはどれほど伝えられても飽きのこない不思議な行為である。

 

だがわたしは、周囲の近しい者にはとあるノルマを課した。それは、

「言葉なんていらないから、形で示してくれ」

というものだった。これは言うまでもなく、高価な品を献上しろ・・という意味ではない。わたしが満足するような——要するに、なにか食べ物をよこせ!ということだ。その結果、気のいい仲間らは各々が考える「URABEが喜ぶであろう食べ物」を持ち寄ってくれたのだ。

どれも確かにわたし好みの逸品揃いだったが、面白いことに"チョイスの仕方"が男女で異なる・・という事実に、なんというか味わい深さを感じたのである。

 

まず女性陣は、明らかに「意思」を感じる選択だった。たとえば、自身が美味いと思っているクッキーだったり、わたしの好物である抹茶やバターをふんだんに使用したチョコだったりと、上っ面の"なんとなくチョイス"ではなく明確な強い意志が宿るものばかり。

そして、そのチョイスにも性格が如実に現れていた。常日頃から意志の強い行動をとる者は、やはり自身の好きな菓子を贈ってくれたし、他人思いの者は「URABEが美味いと思うであろう菓子」を贈ってくれた。もちろん、どちらのタイプも文句のつけようがないほど洗練されていたが、"誰からもらった菓子かなのか"を聞かずとも、その人物の顔が浮かぶようなラインナップでもあった。

そんな手慣れたギフト選びに「ある種の安心感」を抱くのは、やはりオンナならではの慧眼とでもいおうか。

 

対する男性陣は、およそ選択に困ったであろう様子がうかがえる内容だった。わたしの好みは知っているが、そもそも甘いものにこだわりのない男性からすると、どれを選べばいいのかは究極の選択となる。ましてや、適当なものを選べばわたしから罵倒される恐れもあるため、そこそこの品あるいは数で勝負しなければならない——そんな心理が働いたのだろう。なんというか、立派な商品や抹茶関連の詰め合わせといった、苦悩を感じるチョイスが多かった。

それでも「偉いな」と唸ったのは、抹茶好きのわたしはあんこが大嫌いなのだが、その絶対的なルールだけは遵守されていたことだった。これも想像するに、店頭に並ぶ数々の抹茶商品を見比べつつ、「あんこはダメ、あんこはダメ・・」と呟きながら選んだのだろう。ちょっとシュールだが、気持ちが伝わる良いギフトである。

 

それにしても、オトコというのはなんとも可哀そうな生き物だ。誕生日、記念日、婚約・結婚などなど、事あるごとにプレゼントをねだられ、そのくせ相手が望む品でなければダメなのだからハードルが高すぎる。

中には、「高価なものやブランド品ならばOK」という、逆に"安いオンナ"もいるだろうが、「あなたが選んでくれたものならば、なんでもいい」などという無理難題を突きつけられたならば、想像を超えるプレッシャーとストレスを抱えることになる。

・・そんな荒波に揉まれてきたであろう男性陣が選ぶスイーツセレクションは、彼らの人生を反映するかのような、苦労と覚悟が滲み出る絶妙な商品ばかりだった。そしてなにより、それらを選んでいる最中の彼らの姿を思い浮かべると、やはり笑ってしまうわけで——。

 

 

改めて思うことだが、女性というのは物を贈ることに長けている。チョコ一つとっても、そこに明確な意思と自信が満ち溢れており、「あぁ、たしかに美味い」と言わせるチカラが宿っているのだ。

それに比べて男性は、贈り物に不慣れというか他人事だと思っている。だからこそ、散々悩んだ挙げ句におっかなびっくり選んだであろう「苦悩の化身」が、これまたいい味を出すわけだが。

 

いずれにせよ、わたしは食べ物を与えられれば純粋に嬉しいし、そのヒトに尻尾を振ってついていく傾向にある。というわけで、各々が選ぶスイーツセレクションあるいはフルーツセレクションを、今からでも遅くはないので首を長くしてお待ちしている。

 

Illustrated by 希鳳

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