わたしは今日、幸いにも柔術の試合でメダルを手に入れることができた。毎年この時期にラスベガスで開催される、ワールドマスター柔術チャンピオンシップにて、階級別で準優勝/無差別級で優勝という結果を残すことができたのだ。
個人的にはメダルに興味はないが、日頃から世話になっている人々への感謝は、言葉ではなく結果で示すもの・・というのがポリシーのため、二枚の金メダルが無理でも、一枚もないよりはマシだろうと安堵している。
正直なところ、階級別(わたしの場合はフェザー級)の初戦がもっとも厳しい試合となった。相手選手は手足が長くて顔が美人、おまけにフィジカルもしっかりしていてテクニックも豊富・・と、客観的に見てわたしが勝てる要素は一つもなかった。
だが、運よくわたしにポイントが入り、それを死守したことで辛うじて勝つことができたのだ。イメージとしては「美女を襲う子ゴリラが、どうにか近づこうとジタバタするも、あの手この手で遠ざけられる」という感じだった。
そしてその試合で、握力のすべてを持っていかれてしまった子ゴリラは、"武器が一つ使用不可能となる"という失態を犯したのである。もうこればかりはどうしようもなく、回復するには時間が必要——というわけで、試合をするマットの担当者に「もう手が逝ってしまったから、どうかしばらく休ませてもらえないか」と、大袈裟ではなく本当に一語一句違わぬ内容でそう伝えたところ、「しゃーねぇな、5分の休憩を与えてやろう」という恩恵を施されたのだ。
そんなこんなで"握力ほぼゼロの状態"のわたしは、命からがら5試合を乗り切ったわけだが、最後のほうなど手のひらで押し返す力すら残っておらず、無力な手の甲で相手の足を押す・・いや、撫でたり触ったりしていた。そして使い物にならない手に見切りをつけて、まるでイノシシか闘牛のように顔と頭で相手の体をどかすなど、もはやニンゲンではなく動物に救いを求めていた。
(最終的には、野生こそ最強なんだ!)
——などとカッコイイことを綴ってきたが、わたしにとっての本当の戦いはこれからであることを、わたし自身は強く認識していた。そしてこれからの戦いは、今までとは比べ物にならないほどの強いメンタルが必要であることも、残念ながら深く理解していた。
その戦いとは、「皮膚がベロンと剥けた両足の甲を従えて風呂に入る」という、苦行・・いや、拷問に耐えることである。
試合と試合の間で、あまりに生々しい傷口に恐れを抱いたわたしは、治療エリアを訪れた。骨が折れようが靭帯が切れようが、それはもう「仕方がない」と諦めもつくのだが、擦り傷や皮が剥けたといった平面的な傷への耐性がないわたしは、ドクターが傷口にぶっかけた消毒液の痛みに思わず雄叫びをあげた。
「イテェェェ!!!!」
——あの痛みは耐え難い。どんなに沁みると分かっていても、どうしても声が漏れてしまうのわけで。そしてわたしの叫びにギョッとする者もいる中、絆創膏と伸びる包帯のテープを巻いてもらうと、そそくさと試合のマットへと戻って行った。
(戦いはここではない、この後のシャワーにある・・)
そんな憂鬱な気分のまま、残酷にも試合は始まるのであった。
そして今、ホテルの部屋に戻ったわたしはバスタブに湯をためている。その理由は、シャワーだと足の甲へ必然的に水分が付着するからだ。バスタブならば足先を出しておけばあの痛みに悶えることはない。よし、これで何とか乗り切ろう——。
そう喜んだのもつかの間、しばらくして湯船に手を突っ込んでみると、なんとぬるま湯よりもぬるい、常温程度の水が溜まっているではないか!
(マズいぞ、これで湯船に浸かるという選択肢が消えたわけで、残すは"拷問と書いてシャワーと読む"・・しかないじゃないか)
*
そして今、絶望の淵に立たされているわたしは、もしかするとこの世のどんな痛みよりも鮮やかな激痛を、断続的に受けなければならない恐怖に震えながら、なにか他の手はないものかと模索するのであった。
——そう、ここからが本当の戦いなのだ。
遅れましたがおめでとうございます!!!
さすが里香さん、かっこよすぎます✨
皮膚がベロン…想像だけでもう痛い🤣
おおー!ありがとう笑
試合後、何日か経ってるけど、未だに痛いぜ!