「あら、ごきげんよう」
練馬駅のホームで電車を降りたわたしに向かって、お嬢さまが挨拶をしてきた。
今どき「ごきげんよう」などというセリフを吐いて許されるのは、正真正銘のお嬢さまくらいだろう。むしろ、その辺の「お嬢さまかぶれ」が真似をしたところで滑稽かつ痛々しいだけである。
さらに「ここは軽井沢なのか!?」と勘違いするほど、麦わら帽子が映えている。いや、麦わら帽子というと古臭いイメージだが、彼女が頭に載せているのはオシャレ麦わら帽子、すなわちストローハットだ。
・・いつだったか帽子店の前を通ったとき、友人が帽子を見たいというので立ち止まったことがある。そこでわたしは、何種類かのオシャレ麦わら帽子を見つけて、どんなものかとかぶってみたのだ。
そもそも帽子が似合わない顔面と骨格であるため、帽子というものは一つも所持していない。頭部を保護しなければならないときは、パーカーのフードをかぶることで凌いでいるため、とくに帽子がなくて困った記憶はない。
そんなわたしが、「さすがに似合わないヤツなどいないだろう」と高を括って試着した麦わら帽子姿は、衝撃的だった。
(野蛮で太々しいルフィー・・・)
可愛いどころか、むしろ男らしさが光っている。一応、かわいらしい黒いリボンが巻かれているが、そんなものはまるで意味を成しておらず、黄色くて浅黒い肌と立派なアゴ、そして庇(ひさし)の奥で光る悪意に満ちた大きな目は、どう見ても輩。
その瞬間、わたしはすべての帽子を放棄したのである。あれ以来、一度たりとも帽子というものをかぶったことはない。
そんな相性最悪の麦わら帽子を、お嬢さまはまるで体の一部であるかのように、サラッと自分のものにしているではないか。
さらに、夜の20時過ぎに麦わら帽子なんぞかぶっている乗客はどこにもいないわけだが、お嬢さまがかぶる分には違和感がまったくないのである。
これこそがお嬢さまマジック——。
そしてブルーを基調としたシルク素材のタンクトップも、エキゾチックなデザインが上品さを醸し出している。そこから伸びる2本の白い腕は、まさにお嬢さまを象徴するアイテム。
これを自分自身に置き換えてみることが、どれほど無意味で残酷なことであるかは十分承知しているが、ユニクロのタンクトップから生える凹凸の激しい2本の丸太は、女性の腕とは思えない見事な太さである。
同じタンクトップから出ている腕であるにもかかわらず、なぜこんなにも別物なのか、誰かに教えもらいたい。
視線を下げると、スラリと伸びるおみ足は白のクロップドパンツでそっと包まれている。
ちなみにわたしは、白いズボンというものを持っていない。正確には、一度だけ白いパンツを購入したことがあるが、一度も履くことなく捨てた過去がある。
そもそも店で試着しなかったわたしが悪いのだが、色違いで黒のパンツを持っていたため、サイズが合わないことはないという自信があったのだ。そこで帰宅するとすぐに、華麗な女性像をイメージしながら履いてみた。
そして鏡の前に立ったわたしは、信じられない光景を目の当たりにしたのである。
(パンツの布がケツと太ももに持っていかれるせいで、両脇のポケットがパカッと開いているじゃないか・・・)
黒のパンツはシワなどが目立たないため、こうなっていることに気が付かなかったのだ。まさかこれほどまでに、パンツの布が引っ張られて大変なことになっているとは、思いもしなかった——。
さらに太ももの外側の縫い目が、引っ張られすぎて糸が見えている。多少はストレッチする生地ではあるが、これを履き続けたら確実に裂けるであろう危機的状況である。
(むしろ黒いほうは大丈夫なのだろうか。サイズが同じなのだから、そろそろ破れる頃かもしれない。あぁ、知らぬが仏とはこのことか・・)
そんな暗い過去を思い出しながら、細長い足にマッチした白いパンツ姿のお嬢さまを眺める。いうまでもなくクロップドパンツには余裕があり、ヒップや太もものフォルムが強調されるようなことはない。
そして夏らしいヒールサンダルから見える、華奢なつま先が女性らしさを後押ししている。
——リカバリーサンダルでなければ支えきれない、太くて立派な脚と分厚い足裏、そしてウインナーのような指を持つわたしとは大違いだ。
*
結局、この世には「お嬢さま」と「お嬢さまではない女子」とが存在するのである。
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