友人から、毎年恒例となっている「文旦(ぶんたん)」が届いた。今年は、高知県土佐市の「やの一果彩」から、園主のこだわりが詰まった大きくてまぁるい文旦が10キロ送られてきた。
そもそも文旦を、スーパーや果物店で見かけたことはあっても、購入したことはない。なんていうか、手軽に食べられるイチゴやブドウに比べて、堅い外皮と分厚い内皮と苦味のある内袋(薄皮)を突破しなければ、果肉にたどり着けないハードルの高さに、つい怖気づいてしまうのだ。
それゆえに、年に一度送られてくる大量の文旦を、ちょっとしたイベントのように楽しみにしているのである。
しかも今年は、文旦を美味しく食べるために準備万端で待ち構えていた。どのような準備をしたのかというと、包丁を購入したことだ。
昨年、文旦に突き刺そうとしたわたしの親指が折れそうになり、その後に試みた檜の箸が折れて、金属製のフォークも歯が立たず、最終的にサムギョプサルを切るハサミを突き刺してなんとか皮を剥いた記憶がよみがえる。
そんな、文旦が持つ生命力の強さを思い知ることとなったわたしは、すぐさま包丁を購入した。いつもならば、自宅にあるその辺のものでどうにかするのがモットーだが、文旦には逆らってはいけないと本能的に感じたからだ。
こうして、今年は準備万端で文旦と対峙する時を迎えたのである。
やの一果彩が素晴らしいのは、「文旦のむきかた」について、イラストで教えてくれることだ。これならば、料理素人のわたしでもどうにか分解できる。
まずは、文旦の頭とお尻の部分をサクッと切り落とす。それから、文旦の側面に数カ所、深めの切り込みを入れる。ここまでくると外皮を剥がすことができるので、最後に一房ずつ小分けにして、薄皮から果肉を出したら完成。
小袋のなかにはしっかりとした種が入っているため、薄皮を剥く際にペッペと種を払い落としておくと、大粒でフレッシュな果肉に安心してかぶりつくことができる。
(ん、うめぇ!!!!)
プチプチとした歯ごたえの立派な果肉と、爽やかで甘酸っぱい果汁が口の中へ広がる。ポンカンなどの小さめのミカン特有の「強い甘み」とは異なる、大きいミカンならではの新鮮で清々しい「甘酸っぱさ」が、斬新で心地よい。
ちなみに、薄皮や内皮を食べなければ苦味は一切感じないため、多少面倒でも細かく処理を施すことで、文旦の甘みを確実に満喫することができる。
こういうことには労を惜しまないタイプのわたしは、洗濯機が止まって衣服を干さなければならない状況にあっても、コツコツと種を取り除き薄皮から果肉を救出し、文旦を味わいながら幸せに浸るのであった。
(手間暇かけて苦労した分、美味しく感じるものだ。あぁ、調理って素晴らしい・・)
文旦の皮を剥くことを「調理」と呼べるかどうかは疑問だが、少なくともわたしのなかでは立派な調理として刻まれたわけだ。
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先日、わたしの顔を見るなり「どうしたの?!顔がまっ黄色だよ!?」と叫んだ友人がいた。理由は簡単だ、前日の夜中にポンカンを20個食べたからだ。
オレンジ色のポンカンを大量に食べれば、さすがに顔色も黄色っぽくなるだろう。それは想像に容易い現象のため、突然「顔がまっ黄色」と叫ばれても驚きはしない。
となると、薄い黄色の文旦を大量に食べた場合、わたしの顔は何色になるのだろうか。オレンジ色のポンカンで黄色なのだから、薄黄色の文旦ならばさらに薄いレモンイエロー、いや、白っぽくなるのかもしれない。
それより、文旦は一日に何個まで食べてもいいのだろうか。個体がデカいため、一個食べてもなかなかの量となるが、今のところすでに3個食べ終えている。そして4個目に手を伸ばしているわけだが、果たしてこれは「食べ過ぎ」には当たらないのだろうか――。
まぁいいや。明日のわたしの顔色を見れば、食べ過ぎかどうかが分かるだろう。
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