眠れぬ夜のワケ

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明日、絶対に遅刻できない予定がある。しかも友人との待ち合わせということで、今後の信頼関係に影響を及ぼすおそれがある故に、決して遅刻することはできない。

遅刻常習犯のわたしは、遅刻厳禁といわれると妙な緊張を覚える。とはいえ、どんな言い訳も通用しない。遅刻してはならないと釘を刺されているわけで、わたしは何が何でも時間通りに友人のもとへたどり着かなければならないのだから。

 

一番恐ろしいのは「寝坊」だろう。目が覚めた時、待ち合わせ時刻まであと30分だったら遅刻確定となる。そしていくつものアラームをセットするも、ことごとく止めてしまうわたしは、アラームもスヌーズ機能も意味を成さない。

改めてスマホを見ると、5分刻みでアラームが設定されている。中には3分後や7分後という微妙な時間差でセットしている時間もある。

さらにどれもスヌーズ機能をオンにしているため、スヌーズがかぶるだろう。もはやアラームなのかスヌーズなのか分からずに、色々な音が鳴り響く迷惑な時間帯が想像できる。

 

それでもなぜ、わたしは起きないのだろうか――。

 

まず一つは、スヌーズ機能による弊害が挙げられる。

「スヌーズあるから、まだ大丈夫」

「次のスヌーズで起きよう」

といった、怠惰に近い甘えを自動的に植え付けられていることだ。そもそもなぜ、このような余計な機能を思いついたのだろうか?――答えは簡単、人間を堕落させるためである。

 

一回目のアラームで起きるべきところを、睡魔という名の架空の敵のせいにして、再び目を閉じる。そして心の中で「あと5分、いや、あと7分・・・」と、己の欲のためにスヌーズ機能を駆使して、いそいそと布団へ潜り込むわけだ。

このように、スヌーズ機能のおかげで人間は、加速度的に落ちぶれていくのである。

 

とはいえ、わたしのように数分間隔でおよそ60分のアラームをセットしているのも、これはもはや「手動スヌーズ機能」といえるだろう。怒涛の如く押し寄せるアラームの波を、止めては寝て、止めては寝てを繰り返すわけで、スヌーズよりも強力なスヌーズを体験できる。

・・いいことなのか悪いことなのか、よく分からないが。

 

8時台に19個のアラームがセットされているスマホを見ながら、「わたしはいったい、何時に起きようとしているのか?」と考えた。

もしも「8時55分に起きれば間に合う」ということなならば、これ一つでいいだろう。そのため、なぜ8時52分のアラームが存在するのか、意味が分からない。

逆に、8時ちょうどのアラームが本物であれば、8時55分までの間に存在する19個のアラームは何のためにセットされているというのか。

 

思うに、本命は8時45分だろう。ここがタイムリミットで、これを過ぎると遅刻となるに違いない。

そしてあわよくば、早起きしてコーヒーを飲んだり、ちょっとだけ仕事を済ませたり、ピアノをサラッと弾いたりして、有意義な朝を過ごそうという魂胆から、8時ちょうどのアラームを設定したのではなかろうか。

 

だからこそ、8時のアラームでは起きないのだ。そして8時5分、8時8分、8時12分と小刻みにアラームをセットし、それらのどこかで目が覚めてしまったら「ラッキー」というわけだ。

最悪、8時20分くらいまでに起きられれば、モーニングコーヒーくらい味わうことができる。

 

しかし、8時30分を過ぎるとこれはシビアな問題に変わる。起床のリミットが8時45分なわけで、そこまでの貴重な睡眠時間をどうするのか、朦朧とした意識のなかで葛藤する時間帯に突入するからだ。

 

(――どうせなら、睡眠を浅くしておこう。そうすればアラームを聞き逃すこともないはずだ)

 

このようなことを考えながら、3分刻みに鳴り響くアラームを止めては寝て、止めては寝てを繰り返す。そしていよいよ8時45分、真打ち登場となる。

 

ところが、一度でも蜜の味を覚えた人間は、8時45分のアラームでは起きようとしない。なぜなら、「8時47分のアラームがあるから、大丈夫」という、最悪の予防線を張っているからだ。

こうして、気付くとアラームは結びの一番、8時55分へと突入。そしてこの時点で、遅刻が確定するのである。

 

 

とにかく、明日の朝、定時に起きなければならない。寝坊を恐れるあまり、このまま起き続けるのがいいか。はたまたある程度のところで仮眠をとるべきか――。

いずれにせよ、今夜、わたしに安眠が訪れることはない。

 

Illustrated by 希鳳

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