The middle finger

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左手の中指を骨折して、2ヶ月が経過する。同じ部分を何度か傷めているため、もはや痛みだけが恒常的に残る状態となってしまった。

よく聞かれるのは、

「そんな指でピアノ弾けるの?」

という質問だが、これは即答で「弾ける」となる。

 

ピアノの先生までもが気を使って、指に負担の少ない曲ばかり選んでくれているようだが、本人からすると「一切の気遣い無用!」である。

これまた不思議なことに、指で鍵盤を押す動作に対して、中指の骨折や腱の損傷というものはまったく影響しないのだ。

 

動きが似ている「パソコンのタイピング」が平気なので、当然ながらピアノも問題ない。とはいえ、ピアノの鍵盤のほうが重さもあるし、白鍵と黒鍵が入り混じっているため、パソコンのキーボードをカタカタするよりも危険は多い。

具体的には、真下に指を落とす動作は平気だが、横への動きで激痛が走る。そのため、白鍵の隣りにボコッと飛び出た「黒鍵」が、最大の敵となるわけだ。

天敵・黒鍵に中指が触れると、ギャーー!っと雄たけびを上げ、歯をグッと食いしばるわたし。

それでも、通常の打鍵に関してはまったく問題ないため、「無意識に訪れる激痛とのコラボ」というおまけ付きではあるが、ピアノを弾くことはできるのである。

 

しかし、人間というのは愚かで脆弱な生き物ゆえに、痛みを避けて生きようとする。そのため、骨はくっ付いているにもかかわらず、中指を使わない生活が続くことにより、中指が固まってしまうのだ。

固まった指を動かそうとすると、当たり前だが痛みを感じる。そしてまた「痛いから使わないでおこう」と、痛みから逃げる道を選択するようになる。

 

こうしていつの間にか、ネガティブなことを避け、現実的な課題から目をそらし、自らの成長を妨げるような「腐った人生」を送らざるをえない状況となるのだ。

これでは単なる負け犬である。視野を狭め、可能性を排除し、どんどん内側の闇へと堕ちていく、典型的な負のスパイラルである。

 

(わたしはまだ、自身の可能性を捨ててはいない。そうだ、ここで逃げては負けを認めることになる――)

 

覚悟を決めたわたしは、今日こそはマグカップを、左手の中指を使って持ち上げることにした。

 

 

我が家のマグカップはデカい。473ミリリットルの大容量のため、コーヒーがたっぷり注がれたマグカップを片手で持ち上げるのは、指の筋トレ以外の何者でもない。

しかもコーヒーが熱々の場合、マグカップの側面や底に触れることはできないため、サイドにくっ付いている「取っ手」のみで支えなければならない。

そうなると、最低でも4本の指がなければマグカップを持ち上げることができないのだ。

 

だが弱腰のわたしは、中指を使わずにマグカップを持ち上げてきた。中指を伸ばしたり、中指を取っ手の外側に当てたりして、痛みを伴わない指使いで凌いできたわけだ。

そしていつしか中指は己の力で屈曲することができなくなり、ただ無様にくっ付いている役立たずの棒と化していた。

さらにジャンケンをすれば高確率で負ける。そう、グーができないからだ。

 

――こんなくだらない人生とも、今日でおさらばだ。

 

473ミリリットルギリギリに注がれた、熱々のドリップコーヒーを見つめながら、わたしは左手の中指の準備運動を開始した。わずかながらも自力で曲げ伸ばしできる範囲を、積極的に攻めた。

取っ手を握るには、かなりコンパクトに指を丸める必要がある。そのため、自力が無理なら他力であろうとも、中指を丸めることが優先事項となる。

 

右手を使って左手の中指をグッグッと押し込むたびに、中指の第二関節付近に強い痛みが走る。パンパンに膨らんだ豚の腸詰のような中指は、これ以上曲がることを全力で拒否している。

しかしここで止めれば、今までと同じ負け犬のままだ。先へ進まなければ――。

 

何度も何度も中指を丸めつつ、そして他の指も屈伸運動でほぐしたところで、いよいよマグカップの取っ手に指を差し込む瞬間を迎えた。

親指を外に、残りの4本は内側にセット。ゆっくりとグーを握るように取っ手を握りしめていく。

・・まるでクレーンゲームの第一段階を終えた気分である。次はいよいよ、クレーンを持ち上げて景品を穴へと落とす作業だ。

 

カップ本体は熱いので、そこへ指が触れないようにしっかりと取っ手を握り直すと、わたしは静かにマグカップを持ち上げた。

「あっ!!」

おっと危ない!マグカップが傾いてしまった。

なみなみと注がれたコーヒーも足を引っ張るかたちとなり、より一層重くなってしまったマグカップは、断固として宙に浮こうとはしなかった。

 

やはりまだ、リハビリが足なかったのだ。中指を除く3本の指は取っ手をしっかりと捉えているが、中指だけは無意味に浮いている。これではマグカップを支えられるわけがない。

だがここで諦めたら終わりである。なんとしてもこの中指を使って、マグカップを持ち上げなければならない。

 

――もう逃げ回る人生なんて懲り懲りだ、前を向いて立ち向かうと決めたのだから!

 

 

こうしてわたしは、何度も何度もマグカップを持ち上げようとするが、いかんせん中指が浮いていて使い物にならない。

最終的には、デスクに置いたマグカップへ口を近づけると、ずずっと吸ってコーヒーを味わうことにした。

量が減って啜れなくなると、マグカップを手前に傾けてまたずずっと吸い込んだ。角度をつければつけるほど、コーヒーはいつまでも口の中へと流れ込んでくる。・・・これは便利である。

 

そうこうするうちに、コーヒーの量が半分くらいに減った。

さすがに「マグカップを持ち上げて飲まなければ、意味がない」と思い直し、再び、4本の指を取っ手に突っ込むと、今度こそ力強く持ち上げた。

 

(おぉ!持ち上がった!)

 

しかし、総重量が減ったマグカップは、親指と人さし指の2本で支えることができた。

こうなると、中指は完全に飾りである。そこにあろうがなかろうが、中指の有無に関係なくマグカップは持ち上がっているのだから。

 

とはいえ、いずれ中指を駆使してマグカップを持ち上げる日を迎えるためにも、よりハードなリハビリを開始すると誓ったわたし。

これこそが「新年の抱負」というやつだろう。

 

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