タクシー運転手といえば、一昔前はオッサンの職業だった。むしろ、おじいちゃん運転手のほうがメジャーといっても過言ではないほど、シニア世代のベテランドライバーが活躍していた記憶がある。
無論、未だにベテランドライバーと遭遇することも多々あるが、最近では20代後半の若手が増えてきた印象が強い。
そして今日、二十歳前後の、いや、あれは確実に10代だろう。まだあどけなさの残る、可愛らしい女性ドライバーのタクシーに乗った。
しかもなんと、彼女のタクシー運転手人生初日を飾ったのが、このわたしだったのだ。
タクシーの便利なところは、車内で通話ができることだ。
これがもしも電車やバスの車内ならば、通話などすれば乗客から冷たい視線を浴びせられ、とてもじゃないが乗っていられないプレッシャーに押しつぶされそうになる。
常々思っていることだが、バスは難しいにせよ、電車だけでも「通話可能車両」を設けてほしい。
友人と一緒におしゃべりすることは許されて、電話越しの会話が許されない理由がよくわからないからだ。
「電話の話し声は、車内の会話より大きいから、耳障りなんだ」
「片方の会話だけが大声で聞こえてきて、不快な気分になる」
このような言い分はとてもよくわかるし、わたしも同意する。
ならばせめて、通話専用車両を設置してくれれば、通話が必要となる緊急な連絡も無駄なく交わせるわけで、働く人にとってはありがたいアイディアのはず。
とくに役所は、営業時間が限られていることや、折り返しても繋がらない場合が多いことから、着信の瞬間に電話をとりたいのだ。
ドアに向かってコソコソ話すビジネスパーソンも、好きで電話に出ているわけではない。通話せざるを得ない事情があるからこそ、そのようにしているのだから。
話が逸れたが、今日のわたしは仕事の電話が溜まっており、さっさとタクシーに乗って片っ端から電話を終わらせたかった。
そこで、乗り込んだ瞬間に行き先を告げると、すぐさま携帯電話のリダイヤルを押した。と、その瞬間、
「お、お客様!私、今日が初日でして、行き先がわかりません・・」
青白い顔で振り向きながら、恐る恐るそう告げる彼女。
「そうなの?じゃあ、骨董通りは分かる?」
努めて明るく、穏やかに質問をした。
「骨董通りなら、わかります」
おどおどと答える彼女。
「そしたら、とりあえず骨董通りに入ってくれるかな?そこからアタシがナビするから」
すると彼女はホッとした表情で前を向くと、早速タクシーを走らせた。
*
何件か電話を済ませ、メールのチェックをしていたところ、視界を流れる景色に見覚えがないことに気がついた。
ギョッとして顔を上げると、そこは恵比寿を通過した辺りだった。骨董通りへ向かう道は、とうの昔に通り過ぎているのだ。
すぐさまGoogleマップを開くと、現在地を確認するわたし。そしてそこから骨董通りまでのルートを検索する。
(この信号を右へ曲がれば、まだ間に合う)
そこで彼女に、「次の信号、右折できる?」と尋ねようとしたところ、右側車線にはずらりと車が並んでおり、とてもじゃないが割り込む余地はない。
ここで変にプレッシャーをかけてはいけないと、何気なく彼女に声をかけた。
「どこら辺を右に曲がる感じかな?」
すると彼女は、こう答えた。
「渋谷駅の手前を、右に曲がります」
(・・・そ、それは、かなり行き過ぎているのではないか・・・?)
そんな最短ルート、見たことも聞いたこともない。Googleマップですら、候補にまったく上がってこないほど、誰の目から見ても明らかに遠回りである。
しかし彼女は「骨董通りならわかります」と断言したわけで、きっと若者がよく使う裏道でもあるのだろう。それを信じるしかない――。
Googleマップと彼女の運転を交互に見ながら、わたしはあぶら汗をかいていた。
タクシーに乗ったときは、余裕で目的地に到着できる時間だった。にもかかわらず、現時点ですでに待ち合わせ時刻を過ぎているではないか。
しかもこの方向は、まだ骨董通りへ向いていない。どこかで右折しなければ、骨董通りにはたどり着かないのだから。
するとようやく、右の方向指示器を出してくれた。
(助かった!!)
このまま真っすぐ、どこまでも北上するのではないかと冷や冷やしていたが、ようやく右折してくれた。
(とにかく安全運転で、しかも最速で頼む!!)
わたしは祈るように彼女の運転を見守った。
しかしこの街並み、なにか見覚えがあるような――。
しばらく経つと、表参道の入り口が見えて来た。
自宅から骨董通りへ向かうには、西麻布方面の入り口からしか侵入できない。にもかかわらず、いま我々は表参道方面の入り口にいるのだ。
なぜだ???
(・・・あ、わかった)
なぜ彼女が、わざわざ渋谷まで行ってから右折したのかが分かった。
あくまで予想だが、彼女が友達と表参道周辺に遊びに行く際、渋谷から青山通りを歩いて表参道へ向かうのではないだろうか。
するとそこには「骨董通り」の入り口がある。
かつてわたしも「骨董通り」といえば、青山通りから直角に曲がるあの通りのことだと認識していた。
クロムハーツのショップへ向かうために、幾度となく歩いた骨董通り。若い彼女にしてみれば、骨董通りの入り口はここしかないのだろう。
*
結果的に、遅刻に加えて普段よりも700円ほど高くつくタクシーの旅だった。
だがそれでも、彼女が立派なタクシー運転手になるための第一歩だと思えば、なんとも安い投資である。
コメントを残す