今日は寒い。
冬といったら大袈裟だが、先週が夏だとすると今日が冬でもおかしくない気温である。
昨シーズンの冬物はまだクリーニング屋で眠っており、この寒さで何を羽織ればいいのやら、ロンティーとフーディーを重ね着して家を出た。
しかし都内はよくできている。よほどのことがない限り、電車やバス、タクシーを乗り継げば、ほぼ歩くことなく目的地へ着けるのだから。
さらに地下道やビル内を通ることで、上手くいけば雨天でも傘を使わずに移動が可能である。
とはいえ、駅までのわずかな道のりでさえ、13度という気温は体力を奪う。いや、気力を奪うというべきか。
(あ、肉まんだ・・)
見るからに温かな白い湯気に包まれた、肉まんスチーマーが目に入った。中華料理店の店先に置かれているものだ。
わたしは引き寄せられるように肉まんの元へ駆け寄ると、中国人の店員に声をかけて肉まんを一つ買った。
冷たい風が頬に刺さる。
首をすくめながらいそいで包み紙をやぶると、肉まんの底に貼りついたグラシン紙ごと肉まんにかぶりついた。
中からホカホカの肉とともに、肉汁が溢れてくる。
(・・美味い)
真夏に肉まんを食べようという気にはならない。だが、寒い季節に温かい肉まんをほおばることは、味の優劣以上に幸せを感じるものである。
おでんも同じだ。
寒空の下、白い息を吐きながらアツアツのおでんをつつく幸せは、カネでは買えない贅沢といえる。
こちらも同じく大した金額ではないが、大きな肉まんを両手で支えながら食べるわたしは、「この辺りの誰よりも幸せだ」と、誇らしい気持ちになった。
*
長野市の気温は4度。これは都心の真冬と同じくらいだろう。
冬の寒さが厳しい長野にとって、この程度の気温は序の口。まだまだ秋の延長といったところだろうか。
深夜にチェックインしたホテルには、屋上に露天風呂の温泉がついていた。
広い湯船につかった記憶など遠い昔の思い出。――よし、久しぶりに入ってみるか。
時間が時間ゆえに、客の姿はなかった。貸切状態の露天風呂を悠々と泳ぐわたし。
とはいえ、今日中に片付けなければならない仕事を抱える身であり、こんなところでゆっくりしている暇などないのが現実なのだが。
天を仰ぐと小さな星がいくつか見える。田舎なんだから、もっと満天の星空を期待したが、所詮この程度か。
それでも、遠くで静かに光る星がまた、寒さを演出している。
わたしはふと、「こんな贅沢はなかなか味わえないものだ」と思った。
なぜなら、気温4度の冷気に顔をさらしながらも、体は40度の温泉につかっているわけで、外の寒さもなんのその。額からは汗がしたたり落ちている。
気分を良くしたわたしは内風呂へ戻ると、隅っこに水風呂があるのを発見した。
かつては「温冷交代浴が趣味」といえるほどに、暇さえあれば都内のあらゆる銭湯へ出向き、熱いお湯と冷たい水とを行ったり来たり楽しんでいた。
ちょっとしたこだわりで、水温は14度以下が好みのわたし。たった1度の差だが、生意気にも15度ではぬるいのだ。
そんなことを思い出しながら、水温計の表示を見ると14度を指しているではないか。
懐かしさと好奇心から、思い切って水風呂に足を潜り込ませた。水風呂素人となった今のわたしは、もはや太ももあたりでギブアップしたかった。
だが、ここで止めたら女が廃(すた)る。
目を見開き歯を食いしばり、少しずつゆっくりと冷たい水の中へと沈んでいった。そしてアゴ先が水面に触れるか触れないかのところで、静かに60秒を数えた。
数を刻みながら、半年前に起きた知床・観光船沈没事故のことを思い出した。
当時、海水温は2~3度だった。さらに、浸水してからおよそ20分で沈没という恐るべき速さ。
救命胴衣を着用し、氷のように冷たい海へ投げ出された乗客たちは、圧倒的な恐怖とともに、どれほどの絶望に襲われたのだろうか。
水温2~3度では、30分もすれば意識を失う。生存時間は長くても一時間半。
このくらいの数字は、科学的にも実証できているはず。なのになぜ、国は、救命いかだの設置を義務付けていなかったのだろうか。
知床の海水温度に比べたら、かなり温かいといえるこの水風呂。それでも指先の感覚は鈍り、軽く頭痛がする――。
ちょうどそのとき、60を数え切った。
慌てて立ち上がると、わたしはすぐさま熱い湯船へと飛び込んだ。
とにかく今は、ふたたび額から汗がしたたるまで、この贅沢を抱きしめていよう。
(了)
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