少し前のことだが、久々に高熱に見舞われた。
ここ数年、風邪をひいたこともなければ体調を崩したこともない。PCR検査は何度受けても陰性で、なにやら不思議な力を身につけたのでは?などと調子にのっていたところ、健康神話が崩壊する時を迎えたのだ。
突如発生した熱は40度を超え、これは紛れもなくウイルスの侵入によるものだと察知。
ということは、この発熱には意味がある。
プロスタグランジンという物質をご存じだろうか?発熱や痛み、腫れなどを引き起こす生理活性脂質であり、体に起きる炎症のほとんどが、このプロスタグランジンによる生理作用によるもの。
これだけを聞くと、
「プロスタグランジンが生成されなければ、痛みや熱に悩まされることもない!」
となりそうだが、現実的にはそんな単純な話ではない。
体内にウイルスが侵入すると、白血球から「サイトカイン」が分泌され、免疫機構が活性化される。そして一部のサイトカインから、プロスタグランジンが産生されるのだ。
プロスタグランジンは、発熱させることでウイルスの増殖を防いだり、血管を拡張させて血流を促したりといった働きを担う。それと同時に、全身の筋肉痛や関節痛を引き起こすのである。
もう少しわかりやすく説明すると、侵入してきたウイルスの活動を抑えるべく、プロスタグランジンは体温を高め(たとえば40度)に設定する。
そして設定以下の体温だと、人間本体は「寒い」と感じてしまうため、ブルブル震えることで発熱を促す。
その結果、悪寒により負担のかかった筋肉や関節に痛みを感じさせつつも、高熱を生み出すことに成功するのだ。
こうして三日もすれば、ウイルスは急激に勢力を弱めることとなり、それに伴い熱も下がるというのが、生体防御反応の正しい在り方なのである。
ちなみに今回の発熱により、面白い事実を発見したわたし。
まずは、40度という高熱による弊害は、複数の物事を一度に考えられないというだけで、一つのことならばきちんと考えられるということを知った。
さらに、高熱だろうが正直者の腹は躊躇なく空腹を知らせてくる。
そもそも内臓が弱っている時に食べ物など入れるべきではないのだが、それ以上に腹が減ってしまってはどうしようもない。
これはもう食べるしかないわけで、ラーメンでもハンバーグでもなんでも食べられるということを知った。
おまけに、地面を踏みしめた感じからして浮遊感がない。
わたしは立派な2本の脚で堂々と床をつかみ、しっかりと蹴り出しながらトイレへと歩いて行ったのだから。
この話を伝えた医者の友人は、
「高熱は、異常なだるさと食欲の低下、
と返信してきた。これには激しく同意である。
高熱だから、ではない。その他にも「なんらかの原因」があるはずだ。
たとえば手のひらをギュッと握っても、握力に衰えがあるとは思えなかった。そして柔軟性は落ちた気もするが、全身の筋力が低下したようには感じなかった。
つまり高熱だけでは、人間はペラペラにはならないのだ。
だが、そんなわたしでもお手上げの症状が一つだけあった。それは「筋肉痛」と「関節痛」だった。
これは非常に苦しかった。熱を下げるためにもおとなしく寝ていたいところだが、全身のあらゆる関節がチクチク刺されるような痛みに襲われるため、寝ているどころの話ではない。
何度も寝返りを打っては気を紛らわそうとするも、常時襲いかかる疼痛地獄に翻弄された結果、精神的にダークサイドへと追い込まれていくのだ。
(あぁ、だから鎮痛剤を飲むのか・・)
発熱にはウイルス撃退の効果はあれど、筋肉痛や関節痛自体にそれらの効果はない。
優秀なる我が免疫機能軍たちが、全勢力をあげて戦いに挑んでいるところを申し訳ないが、この筋肉痛と関節痛に関しては、ちょっとだけ取り除かせてもらえないだろうか――。
いや、ダメだ。鎮痛剤は解熱作用も含んでいる。
プロスタグランジンを抑制する効果のあるNSAIDsは、解熱鎮痛剤の代表格。薬剤の成分で、イブプロフェンやアスピリンといった名を耳にするが、彼らは痛みと同時に熱も取り除いてくれるのだ。
となると、戦いの最中である我が免疫軍に水を差すこととなる。
(・・うぅむ、やむなし。こうなればわたしも、痛みとの真っ向勝負を続けようぞ!)
というよくわからない正義感と信念から、わたしは三日三晩、痛みに悶え苦しんだのであった。
とはいえ丸三日で、キレイさっぱり高熱と関節痛から解放されたわけで、ある種の「免疫機能チェック」ができたわけだ。
健康体ならば、自力で解熱が可能。その都度起きる身体的変化も、観察してみるとすべてに意味があり、人間の防御反応の緻密さに驚かされるばかりである。
とどのつまりは、大切なのは日頃からの「メンテナンス」ということだ。
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