埼玉県・秩父に住む友人から「たい焼き」をもらった。しかし紙袋から取り出した瞬間、なんともいえない違和感に襲われた。
なぜならたい焼きの腹や頭から、骨やら内臓やらが飛び出していたからだ!
正確には、骨も内臓も飛び出ていない。「鯛」ではなく「たい焼き」だから当たり前。だがあたかも、それらの内容物が至るところから飛び出ているかのような姿をしていたため、こちらは一瞬怯んだわけだ。
その内容物の正体は「しゃくし菜」だった。
埼玉県によると、しゃくし菜は明治初期に中国から伝来し、秩父地方では古くから栽培されている伝統野菜の一つ。葉っぱの形が「杓子(しゃくし)」に似ていることから名づけられた。漬け物として口にすることが多いしゃくし菜だが、シャキシャキとした食感は、炒め物やまんじゅうのあんとしても最適。
ちなみに、しゃくし菜と似た歯ごたえの葉菜として「野沢菜」が挙げられる。野沢菜は日本三大漬菜の一つで、長野県を筆頭に日本各地で生産されている。しゃくし菜よりも柔らかく、水持ちのいい茎を楽しむのが特徴。
秩父市にある「たい焼ねぎし」は、そんな万能のしゃくし菜を油で炒め、たい焼きの中身として任命したのだ。
見るからに美味そうな黒緑色のしゃくし菜が、たい焼きの背中から派手に飛び出している。よく見ると頭からも、口からも、そして尻尾からもはみ出ているではないか。
さらに葉の部分だけでなく、茎も一緒に溢れているので、まさに鯛の骨が折れて体の外へ破れ出たかのよう。
とにかく「そこまでサービスしなくても!」と、思わず職人の肩を掴んでしまいそうなほど、ぎっしりと贅沢に詰められたしゃくし菜のたい焼きをほおばる。
(・・・美味い)
しかし、たい焼きといえば中身は「あんこ」が定石。私のようなあんこ嫌いは、代わりにクリームやサツマイモが収まっているたい焼きを食べるわけで。
たしかに最近では「お好み焼きのようなたい焼き」も見かけるが、しゃくし菜のたい焼きというのは未だかつて見たことがない。
ちょっと余談だが、たい焼きの誕生秘話として「失敗から始まっている」ということをご存じだろうか。レファレンス協同データベースによると、1909年(明治42)創業の「浪花家総本店」の初代・神戸清次郎が創作したのが、たい焼きのはじまりとのこと。そしてその経緯は、
「今川焼きを始めたが一向に売れず、亀の形の亀焼きも失敗する。ところが、めでたいタイの姿にしたところ、(略)飛ぶように売れた」
と、「たべもの起源事典」で紹介されているのだそう。つまり、神戸清次郎氏が「亀の形」の次に「鯛の形」に挑戦したからこそ、現在のたい焼きが存在する。もしも誤って「鶴の形」などにトライしていたら、この世にたい焼きは生まれなかったのだ。
しかしながら、甘じょっぱく油炒めされた「しゃくし菜のたい焼き」は、お世辞抜きに美味い。たい焼きの皮と炒めたしゃくし菜が合うこと合うこと。今日まで私は、
「しゃくし菜炒めなど、白米にしか合わないだろう」
と勝手に決めつけていたが、一口食べてこの考えを撤回することにした。むしろ、そんな浅はかな考えしか持てなかった己を恥じるほど、たい焼きの中身としてしゃくし菜炒めはベストマッチだったのだ。
その証拠に、紙袋の中で寝かされていたしゃくし菜のたい焼きたちは、開封と同時に四方八方へ次々と消えていった。
――老若男女、みんな大好き、しゃくし菜たい焼き!
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