マンションのゴミ置き場へ、レジ袋に詰めたゴミを投げ捨てる居住者を許せないわたし。しかも、カップ麺を食べたあとに濯(ゆす)ぎもせず、押し込んだ割り箸がレジ袋を突き破って顔を出していたりすると、怒りで震えながら撮影した画像を管理会社へ送り付ける粘着っぷりをみせる。
どうせなら、ダミーでいいから監視カメラでも設置してもらいたいものだ。
しかもその居住者(複数いるだろうが、そのうちの一人)は、エレベーターでわたしと鉢合わせしそうになると、レジ袋に入った「汚い」ゴミを提げたまま非常階段で逃げ降りた。つまり、本人もそのゴミはまずいと認識しているのだ。
だったらなぜ濯ぐ手間を惜しむ!?と追及したい気持ちをおさえ、ゴミの撮影を続けるわたし。まさかここまで執念深いとは、居住者たちもびっくりだろう。
そんなわたしは、ゴミをキレイな状態で捨てることを心掛けている。キムチの空瓶も惣菜の空パックも、当然ながらすべて洗い流して捨てている。それでもニオイが落ちないものは洗剤で何度も洗う徹底ぶり。そしてペダル式のデカいゴミ箱に70リットルのゴミ袋を設置し、そこへレジ袋一杯になったゴミを放り込んで溜めているのだ。
しかし、料理をしないというか調理済みの食べ物を買ってくる我が家のゴミは、数日で70リットルがパンパンになる。たしかに購入時点ですでに無駄なゴミを買っている場合も多いので、致し方ないのだが。
たとえば「刺身の盛り合わせ」を買った時、魚を底上げするためにプラスティックの土台のようなものが入っている。はたまたコンビニで売っている「スフレケーキ2個セット」のフタなどは、それ以上小さくできないため嵩張(かさば)るばかりでゴミ袋を無駄に刺激する。
かといって、これらがなければ消費者はくだらないクレームをつけるのだろうから、自業自得というやつだが。
フルーツを好んで食べるわたしは、季節柄イチゴと柑橘類を毎日購入している。今日も「とちおとめ」と「ポンカン」と「デコポン」を引き連れて帰宅した。フルーツというのは果汁たっぷりでズッシリしており、レジ袋の手提げ部分が腕に食い込むほどの水分を運ぶことになる。やはり重いものはどことなく幸せを感じるあたり、わたしは貧乏性なのだろう。
イチゴはそのまま食べてしまえば終わりだが、ポンカンとデコポンは皮を剥く作業と種をペッとする手間がかかる分、満腹感を導きやすい「優秀なダイエット食品」といえる。果物などいくらでも入ってしまうが、強制的に皮を剥いたり種を吐き出したりする時間を挟むと、必然的に満腹中枢を刺激するまでの時間稼ぎができるため、減量のお供としては最適なフルーツ。
そしてわたしは、毎日10個はポンカンとデコポンを食べているため、皮が大量に溜まる。他のゴミと分けて「皮専用」のレジ袋を用意し、そこへ皮だけをまとめて入れているのだが、その袋を置きっぱなしにしておくと、部屋中が柑橘臭で覆われ微妙な不快感を誘う。最初のうちは、
「部屋中に爽やかなオレンジの香りが漂ってる!」
とまんざらでもなかったが、さすがに二日目となるとそのニオイに敵意を感じはじめる。たしかに柑橘系の香りだが、ここまでどぎつい香りは求めていない。ましてやそもそも柑橘系の香りが特別好きなわけではないので、ポンカンとデコポンの大量の屍から発せられる柑橘臭は、室内でマスクを着用するレベルに影響を及ぼす。
似たような現象で、コーヒー豆も同じように香りを残す。ドリップコーヒーを淹れた後の「かす」は消臭効果があるといわれるが、こちらもまぁまぁ家中がコーヒーくさくなる。コーヒーが大好物のわたしはまったく困らないが、それでも四六時中コーヒー臭が漂う居住空間というのは、二、三日もすれば「お腹いっぱい」となる。
どんなに好物の香りとはいえ、溢れすぎるのは逆効果なのだと知ったわけだ。
だが唯一、こいつらが役に立つ瞬間がある。それはエレベーターの中だ。70リットルのゴミ袋を提げて一階へ降りる際、途中で居住者が乗り合わせてくることがある。そんなとき仕方ないとはいえ、生ごみの異臭はお互いに気まずい空気が流れる。
ところが大量のオレンジやコーヒーのかすが、それらの異臭を抑え込んでくれるのだ。とくにオレンジの威力は絶大。エレベーター内が柑橘臭で息苦しくなるほどに、存在感を誇示してくれる。決していい匂いではないが、生ごみ臭よりはかなりマシなはず。
幸い、コロナ禍においては誰もがマスクを着用しているため、生ごみ臭とはいえそこまでとんでもない事態にはならないだろう。しかし最初に「柑橘系の芳香剤」を思いついた人物は、きっとこのシチュエーションがきっかけだったに違いない、と親近感を覚えるのであった。
サムネイル by 希鳳
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