矢面に立たされるというプロボノ

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――国会の答弁で、野党議員から辛辣な追求を受ける某大臣(置き物)が、その答えに窮する場面をマスコミは挙って報道する。

「矢面に立たされる●●大臣、万事休す」

 

あまり良い意味で使われることはないが、矢が貫通しないから立っている場合もあるし、誰も死にたくないから「生贄」を捧げる意味で立たされる場合もある。

 

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「パスティーシュ」という言葉をご存じだろうか。

パスティーシュとは、

「音楽・美術・文学で、先行作品の主題やスタイルを模倣・借用・混成などして作った作品」

という意味だ。

 

私も少し前まで知らなかったが、清水義範という作家を知り、パスティ―シュを知った。

(この清水義範の技法を教えてくれたのは、例の編集長《変わり者》)

 

そしていつかこの書き方で間接的に事実を伝えてやろう、と思っていたところ、そのチャンスが訪れた。

 

それが昨日の投稿

 

 

突如「種明かし」を決めた理由は、友人からのLINEが発端。

 

「なぜいま、あれほど事細かにあれほどのボリュームで、完全な作り話を書いたのか気になる」

 

(むしろちゃんとブログ読んでくれてたんだ。さすが優良読者)

 

ーーするどい

 

というわけで、文章の書き方としてああいう方法もあるということを、伝えておきたかった。

 

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さて。

矢面に立たされるということは、それなりの覚悟が必要だ。

 

立たされた人には、守るべきモノ、コト、ヒトがあるはずで、それらを守るべく矢面で戦うことになる。

 

守るべき何かがとくにあるわけではない私は、何を守るために矢面に立つのだろうか。

 

2日くらい考えた末に思いついたのは、日本のレガシーシステムである、雇用制度を変えるための「プロボノ」ということ。

 

プロボノとは、

「社会人が自らの専門知識や技能、経験を生かして参加する、社会貢献活動」

を指す。

 

海外では盛んに行われるプロボノだが、日本ではまだ馴染みが薄い。

 

アメリカ発祥のプロボノは、弁護士からスタートした。

裁判をするには高額な費用が発生する。

その費用を用意できない低所得者層に対し、無償で法的サービスを開始したことがきっかけだ。

 

そこから、その他の士業へもプロボノの考えが普及した。

自らのスキルアップを図りながら行う社会貢献活動、ということで、アメリカではある種「当たり前」のプロ意識となっている。

 

――私は、職業社労士だ。

労働関連法の遵守と浸透、適切な運用を、日本の社会へ伝える橋渡しをしている。

そして士業者としても、その一端を担っていると自負している。

 

 

大企業になればなるほど、

「誰が責任をとるのか」

という、まことにくだらない問題が発生する。

この無駄で無益で無意味な問題により仕事は邪魔をされ、アグレッシブな活動が妨げられる。

 

誰が責任を取るのか?

そんなの、

「責任を取るべき人間」

に決まっている。

 

それ以外に誰が責任を取るというのだ。

まったくばかばかしい話で反吐が出る。

 

 

それでも往々にして、己の保身のため、あるいは企業の保身のため、下っ端に責任をなすりつける風潮が日本の企業(特に大企業)にはある。

 

――トカゲのしっぽ切り、というやつだ

 

 

活発に議論を交わし、全員一致の見解で、目標達成のために意欲的に進めたプロジェクトが失敗に終わったとしよう。

 

誰が責任を取るのか?

プロジェクトリーダーに決まっている。

 

しかしメンバー全員が

「リーダーの責任ではない、我々の責任だ」

と、自らで責任を負おうとすることがある。

 

なぜか。

 

チーム一丸となって取り組んだプロジェクトに、「責任のなすりつけ」などという行為は起こり得ないからだ。

 

リーダーを尊敬し、信頼するメンバーが集結した環境下で、全力で出した結果を「失敗」と捉える者などいない

 

そのような環境を作ることこそが、リーダーの職務であり職責だ。

 

その後の結果など、大した問題ではない。

 

 

米海軍特殊部隊「ネイビー・シールズ」の元指揮官ジョッコ・ウィリンク氏が、イラク戦争中の実体験を元に、「リーダーの責任」について説いている。

12分程度なので、ぜひとも視聴してもらいたい。

 

非常に分かりやすく、このようなリーダーならば部下はついていくだろう、と感じる内容だ。

 

結果の良し悪しに関わらず、責任を取る立場にいるものが責任を取る。

至極当然のこと。

 

そのためにリーダーは存在するのだから。

 

 

私は特殊部隊の指揮官でもなければ、部下を従えるリーダーでもない。

 

それでも、スケープゴートが必要な事態に遭遇したら、私がなるべきだと考えた。

 

「社労士としてのプロボノだ」と、自らに言い聞かせて。

 

 

末端の人間を生贄に差し出し、事が丸く収まったとしよう。

それで「良かった」と思えるのならば、その人はその会社はそこまでだ。

 

その先に、魅力ある建設的な議論も成果もあるはずがない。

 

 

時代が変わりつつある今、「個」の力が伸びている。

組織に埋もれていた個が目立ち始めている。

 

これは、無能な人間をあぶりだすことにもつながる。

これからは、誰もが自らの「責任」を意識し、仕事を進める時代となるだろう。

 

「あなたは何ができますか?」

 

この質問に対して、社名と役職を答えるようなカスに未来はない。

 

 

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5件のコメント

前に勤めていた会社のことが思い起こされました

何もしないのに偉そうにばかりして仕事をしたフリの上位者
あんな年の取り方はすまいと思っていますが、絶えず自省し続けなければいけないなと改めて感じました

「昨日の投稿」は種明かしなしでもわかった。
ちょっとドキドキしながら読んだ。

この頃、夜中に仕事を終えてRICAの文章読むのが日課になってきた。
共感することが多い。

それに、いろいろ考えさせられます。
どうもありがとう!

どうしても記録?記憶?に残したかったから捻り出した!
当事者がコレ読んでも、まったくピンとこないだろうけどねー😁
いつもありがとう😊

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