都心のコンクリート監獄へ収監されて10年、受刑者たる私が獲得した能力とは

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今まで散々、わが家が「打ちっ放しのコンクリートでできた、都心にあるオシャレ監獄」であることをディスってきたが、ここへきて”まさかの耐性”を身に着けられたのが、皮肉にもこの監獄での暮らしによるものだとすると、収監されてから初の「感謝」を覚えるのであった。

 

 

一月に入り、いよいよ寒さも本格的となってきたが、不思議なことに「究極の寒がり」として有名なわたしが、寒さによる苦痛をそれほど受けていない。

毎年冬の時期には、全身モコモコになるほど重ね着をして外出するにもかかわらず、刺すような冷たさの外気に触れると、まるで魔術に中てられたかのように震えが止まらず動けなくなってしまう——大袈裟な話ではなく、本当に足がすくんで立ち止まってしまうくらい、わたしにとって「寒さ」というのは脅威であり、生命の危機を感じる存在なのだ。

 

そんな憎むべき冬が到来したわけだが、なぜかわたしは今までのような「生きた心地がしない寒さ」を体感していない。無論、まだまだ氷点下の日は少なく、日中のおだやかな日差しは”真冬”と呼ぶには生ぬるいレベルであるのは確か。

だが、極度の寒がりを自負するわたしが、ここまで寒さと共存できているのは珍しい・・というかおかしいのだ。

 

「うぅー、今日は寒いね。なんせ最高気温が4℃らしいよ」

そういって肩をすくめる友人を見て、わたしは内心「そんなに寒いかな?」と驚いた。

今までならば、そのセリフは真っ先にわたしが発言するべき内容だった。なのに今年は、わたしの口から「寒い」という単語を発した覚えがない(室内の寒さを除く)。

それも一度や二度の出来事ではなく、会う人会う人、まるで挨拶の延長であるかのように二言目には「寒い」を発するわけで、わたしはむしろ「今日はわりと暖かいね」・・と言いそうになる口をおさえる始末——。

 

(あれほど寒がりで有名なわたしが、なぜ今年は寒がらないのだろうか)

 

思い当たる節といえば、言わずもがな「自宅が極寒の監獄仕様」であることだろう。

なんせ、エアコンをフル稼働させているにもかかわらず、ダウンジャケットを着用したまま室内で過ごさなければならない・・という、正気の沙汰とは思えない生活を強いられており、言い換えれば”24時間常に寒さと戦い続ける過酷な環境”に身を置いているのだ。

そのため、寝るときはダウンジャケットからフリースのプルオーバーに着替え、その下にはヒートテックのロンTにフーディーという重装備。さらに、ズボンは裏起毛のスエットにヤクの靴下という完全なる防寒対策を施した状態で、タオルケットと羽布団をかけて目を閉じるのがわたしの就寝スタイル——そう、睡眠時までもが防寒訓練なのである。

 

このような訓練の結果、玄関を出た瞬間に触れる外気に対して、本来ならば「冷たい」や「寒い」はずなのだが、わたしにとっては「普通」に感じられるようになったのだ。

なぜなら、室内でダウンジャケットを羽織るほどの寒さなのだから、屋外は発狂するほどの寒さに違いない・・という決死の覚悟でドアを開けたところ、思ったほどの寒さではないことに拍子抜けするのは当然のこと。

そんな在宅トレーニングが功を奏して、いつの間にか寒さに強い肉体・・いや、寒さに強い精神力を身に着けたのだ。

 

「病は気から」と昔から言われているが、気の持ちようで脳はどうにでもコントロールできる。たとえば寝不足の朝、嘘でもいいから「あー、よく寝た!」とつぶやくことで、脳はコロッと騙され「そうか、よく寝たのか!」と、あっという間に眠気が吹っ飛ぶのは有名な話。

これと似たような方法で、極寒のシベリアに放り出される覚悟で外へ出れば、日本の冬などあくびが出るほど心地よい気候である。そんなメンタルトレーニングを、無意識かつ必然的に強要されてきたのだから、脳が寒さへの耐性を獲得しても不思議ではない。

 

——というわけで、この見栄っ張りな欠陥住宅たるコンクリートの監獄へ越してきて、わたしは初めて「感謝」を覚えたのである。

 

 

とはいえ、部屋着でくつろぐことのできない生活が「いいもの」だとは思えない。願わくば、暖かい部屋でぬくぬくと過ごしたいものだ。

 

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