会陰切開すらスルーする”陣痛”に比べたら、この首の痛みなど鼻くそみたいなものか

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一週間ほど前、柔術の練習中に首を傷めたのだが、まぁよくあることなので様子を見ながら過ごしていたところ、数日前からとんでもない激痛に見舞われるようになった。

タイピングしている今・・というか、この姿勢がとくに酷いのだが、自称・痛みに強いわたしが鎮痛剤に手を出してしまうほど、逃れようのない痛みに襲われているのだ。

 

これはもはや「痛い!」だけにはとどまらず、指先までのしびれと吐き気を伴うレベルで、痛みの絶頂期など呼吸すらままならないほど悶絶する始末。

(今まで幾度となく怪我をしてきたが、こんな耐えがたい痛みは初めてだ・・)

 

左の首の根元、左の肩甲骨および背中、そして左腕全体から小指・薬指までの広範囲にわたって、なにをどうやってもおさまらない神経痛があるため、パソコンを使って仕事をするにも集中できず、誰かにすがりたい心境になるほどわたしは弱っていた。

ところが、左手を耳に沿わすように真っすぐ上げると、不思議なことにフッと痛みから解き放たれるのだ。もちろん、毎回必ず・・というわけではないが、それでも一秒前までの拷問から解放された感動というか幸福には、なんというか「漲(みなぎ)る生命力」を感じるのである。

 

「健康が全てではないが、健康でなければ全てを失う」とはよく言ったもので、この悪夢のような激痛——といっても、眠ることすら妨げられる痛みなので、悪夢すら見ることのできない激痛なのだが——から逃れられるならば、カネはいくらでも出す(現実的に可能な範囲で)し、どれほど過酷な苦役であっても引き受ける・・と土下座で懇願したくなるほど、体の不調はすべての活動・行動に支障をきたすもの。

そして、わたしはこの不調との付き合いがまだ数日だからいいものの、生まれた時からずっとこの状態だったり、人生の大半をこの状態で過ごさなければならなかったりと、痛みを取り除くことが不可避な者のことを考えると、「この痛みとおさらばできるなら、死という選択肢もやぶさかではない」という考えも理解できなくはない。

 

痛みというのは主観的なものゆえに、同じ怪我や病気にかかったとしても、感じる痛みの強弱はヒトそれぞれ。よって、それが激痛なのか耐えうる痛みなのかは、本人の感じ方次第というのが大前提となるが、殊に「神経痛」というのは誰にとっても耐えがたい苦痛であり、加えて、その痛みが持続するという厄介な性質を持っている。

たとえば虫歯の痛みや生理痛といった——あ、ちょっと話が脱線するが、一児の母である友人が教えてくれたことで、出産に伴う痛みは尋常ではな・・という話に触れておきたい。

「出産の痛みというか、陣痛の痛みに男性は耐えられないっていうよね。だって、会陰切開(出産時に、膣口と肛門の間の会陰部を医療用ハサミで切開する処置)なんて麻酔ナシでやるんだよ?切られた瞬間にチョキンって音がするし、間違いなく痛いんだろうけど、そんなことよりも陣痛の痛みのほうが強くてそれどころじゃないからね」

 

この話を聞いたわたしは、血の気が引くのを感じつつ恐怖に震えた。そういえば、先月出産した後輩も同じことを言っていたが、麻酔なしで皮膚や肉をチョキンとする・・?!

想像しただけで倒れそうである。とはいえ、実際にその状況になれば耐えられる、というか「やるしかない」という後戻りできない事態に遭遇しているため、前へ進むしかないのかもしれない。

——果たして男性陣は、この想像し難い痛みに耐えられるのだろうか。

 

というわけで、痛みに強い女性と言われながらも、首・背中・腕・指先まで続く激痛にノックアウトされかけているわたしは、今現在可能な最善策として、滅多に服用しないロキソニンを飲んだ。

だが、そもそも消化器官の吸収能力が高いうえに代謝スピードが速いわたしは、鎮痛剤というものが効きにくい。そのため、何時間経っても痛みが和らぐことはなく、「さっき飲んだのは新手のラムネだったのか?」と疑いたくなるほど、なんの鎮痛効果も得られなかった。

 

(それでも予定はこなさなければ・・)

 

苦痛に悶えるこちらの都合などお構いなしに、無情にも時は刻まれていくもの。そして、刻々と迫る次の予定に向けて、セルフ拷問状態の体を引きずりながらも、準備に着手するわたしなのであった。

 

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