魚醤商人——そんな職業に就く日が来るとは思ってもみなかった。しかも、そのおかげで世界的に自分が知られるようになるなどとは、想像だにしないわけで。
だがオレは今、魚醤とともに世界を飛び回り各国で売りさばいている。そんなオレのあだ名は"ギョショー"。製品名かよ!と、ツッコミたくなるが、海外の人間からすれば日本語は暗号のようなもの。むしろ、そう呼んでもらえてありがたいくらいだ。
魚醤とは、読んで字のごとく魚を発酵させて作った醤油のこと。日本でいえば、秋田のしょっつるや石川のいしるが有名だが、世界的にはタイのナンプラーやベトナムのヌックマム、イタリアのコルトゥーラ、中国のユイルウ辺りの知名度が高い。
イワシやアジといった青魚を原材料として、半年から3年ほどの発酵期間を経て完成するが、発酵期間が短ければ魚の生臭さが残る独特な香りが強く、逆に長期間寝かせると塩味が強くなる魚醤。それらは日本における醤油と同様に、タイやベトナムの食卓では欠かすことのできない調味料として存在するのである。
ちなみに、向こうの料理はそれ自体が魚醤を振りかけることを前提として作られているので、より郷土食としての風味が強調され、忘れられない味となる。そして、オレが魚醤と出会ったのは、今から二十年前にタイのサムットサコーン県を訪れた時のことだった。
この小さな田舎町で安宿を予約したオレは、タイ語が分からぬまま夜を迎えたのだが、如何せん田舎すぎてコンビニのような小売店が見当たらない。おまけに、宿には自販機がないため、飲み水も空港で買ったボトルウォーターがあと少ししか残っていない。
それよりも腹が減ってどうしようもないオレは、英語が通じない宿主のおばちゃんの元を訪れ、ネットで調べたタイ語でこう伝えた。
「ヒウカーオ(หิวข้าว)」
ヒウカーオの意味は「腹が減った」だ。タイ語で有名なのは「サワディーカー(สวัสดีค่ะ)」や「コップンカー(ขอบคุณค่ะ)」あたりだが、田舎町へ行くならばヒウカーオも追加しておくべきだろう。とにかく、腹に手を当てながら空腹を告げたオレに向かって、おばちゃんはなにやら返事をしたが、それがどんな意味なのか分からぬまま20分ほどその場で待たされた。
おばちゃんが奥へ引っ込んだ宿の一階は、真っ暗でシーンとしていた。——オレはここでこうやって待っていればいいのだろうか。ていうか、さっきおばちゃんは何て言ったんだ? もしかすると「この時間に飯屋はやってないよ!」だとしたら、ここで朝まで座り続けることになるじゃないか。だがもしもそうじゃないとしたら、部屋に戻ることもできないし、オレはいったいどうすればいいんだ——。
悶々とする中、突如、静寂を切り裂くかのように「ドンドン」と宿のドアを叩く音が響いた。一瞬ビックリしたが、すぐに奥からおばちゃんが出てきて、大きな白い器を受け取ると再び鍵を閉めた。
そしてオレの前にその器を差し出し、またなにやらタイ語を呟くと奥へと消えていった。
(これは、カオマンガイか・・)
カオマンガイは有名なタイ料理で、茹でた鶏肉とそのゆで汁で炊いた米とを合わせて食べる。空腹の嗅覚を強烈に刺激する鶏肉の匂いに、オレはたまらずスプーンを突き刺した。そして一心不乱に掻っ込むオレの元へ、またもやおばちゃんが現れたのだ。その手には、小さな小瓶に入った調味料——そう、それこそが魚醤・ナンプラーだった。
身振り手振りでなにかを伝えながら、おばちゃんはナンプラーを鶏肉に振りかけ、「食ってみろ」と言わんばかりに両手でオレを急き立てた。仕方なく言われるがまま蒸し鶏と米をすくうと、一気に口へと放り込んだ。
(・・・美味い)
何度も何度も噛みしめながら、オレはなぜか鼻の奥がツンとするような、まるで涙が込み上げてくるような気持ちになった。言葉の通じぬ異国の地、しかも電気も消されたみすぼらしい安宿の片隅で、オレはいま温かいカオマンガイを頬張っている。その温かさにひと筋のパンチを利かせたような、コクのある塩味と独特な魚の臭みが広がる——。
こんなにも食べ物が尊いものだと感じたことは、今までになかった。そして、腹を満たすためには一気に食い尽くしたいところだが、このナンプラーの風味がそれを許さなかった。
薄っすら塩味の鶏肉に、魚醤ならではの臭みが響く——そんな質素で贅沢なカオマンガイを噛みしめながら、オレはなぜかタイという国に感謝と愛着を湧いていた。
あれからかなりの時が経ち、タイも魚醤もすっかり忘れていた頃、とある占い師がオレにこう告げたのだ。
「世界中で魚醤を売ってみなさい。そのためにも、今すぐに各国の通貨を覚えなさい。色んな国の田舎町で魚醤を売り歩き、他の行商に負けないくらいに売り上げることができたら、あたなは世界一の魚醤商人となるでしょう」
アルバイトを掛け持ちながら趣味に明け暮れる生活を送っていたオレは、"魚醤商人"という馴染みのない言葉に違和感を覚えた。しかもなぜ、魚醤などというニッチな製品なのか疑問に思ったが、どうせやりたいこともなくダラダラと生きるくらいなら、この占い師の言葉に乗ってやってもいいんじゃないかと思った。
それからオレは、オセアニアと南米の田舎町を中心に、ナンプラーとヌックマム、しょっつる、コルトゥーラを売りまくった。塩や砂糖のような必須調味料ではない魚醤は、料理のアクセントとして重宝がられる。今でいうところの「味変」というやつだ。とくに、ミクロネシアやニュージーランドでの評判は凄かった。魚介類が豊富にとれる地域ゆえに、魚醤との相性もいいのだろう。
そしてあっという間に、オレは「ギョショー」という名で有名になったのである。
*
・・・という夢を見た。
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