それとなく、クリスタル  URABE/著

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――ここはどこだろう。田舎であることは間違いない。窓の外は雪景色、かなり積もっている。そしてわたしは市営バスのシルバーシートで、崩れ落ちそうな姿勢を保ちながらなんとか座っている。なぜか?乗客などわたし以外にいないから、ありえない格好で座ってやっているだけだ。

 

しかしこんな豪雪地帯を、わたしはいったいどこへ向かっているのか。冷却水の熱を利用している足元の暖房がやけに熱い。だがバス停に留まるたびに無駄にドアを開け閉めするから、車内が定期的に吹雪いている。どう見たってバス停に人間など立っていないのだから、わざわざドアを開閉する必要はないのに――。

これもまた、田舎ならではの律儀な慣わしなのだろうか。それともコロナ対策で、定期的に空気の入れ替えでも試みているのだろうか。

 

いつの間にかウトウトしていたらしく、気づくと後方に乗客が2名ほど座っていた。そういえば今は何時なんだ?

上着のポケットから携帯を取り出すと、時間を確認する前にLINEの通知が飛び込んできた。さほど親しくはない友人からだ。しかもやけに長い文章じゃないか。

「・・・通常ならば48,000円のところ、あなたにはお世話になった義理があるので、3,899円でどうでしょうか?」

最後の行はこんな感じで締めくくられていた。どうやら金に困っているらしく、わたしに何かを売りつけたいようだ。まぁ困っている時はお互い様、4,000円くらいくれてやろう。

 

顔を上げると目の前に、いまLINEを送ってきた友人が立っていた。ちょっと驚いたが、どうやら後部座席で待機していたらしい。なぜわたしがこのバスに乗っていることを知っていたのだろう?まぁいい、考えたところで答えは出なそうだ。

金に困った友人はわたしに、米粒よりはやや大きい、ミントスほどのサイズの透明な何かを手渡してきた。手のひらに乗せて眺めると、それは円筒状のクリスタル――水晶だった。しかしあまりにも小さくて、吹いたら飛んでしまいそうなカケラ。こんなものに3,899円の価値なんてないだろう?

「舌にのせて、ゆっくりと舐めるんだ」

友人に言われるがままに、ちっちゃなクリスタルの粒をつまむと、舌の上にそっと置いた。誤って飲み込まないように、慎重に舌の上で転がす。

 

10秒ほど経過すると口内がねばついてきた。味は――よくわからない。ほぼ無味だが、あえて例えるなら水あめのような、甘ったるい薬のような人工的な甘みを感じる。それが「美味いか?」と問われれば、決して美味くはない。だが癖になる味であり、これは確実に毒であると本能的に感じた。

(全部舐めてはいけない、絶対に残さなければ)

頭ではわかっているが、口内では唾液がドバドバと溢れ出し、少しずつクリスタルの粒を溶かしていく。溶かしてはダメだ、ぜったいにダメだ――。

 

バスが急ブレーキを踏んだ。その瞬間、わたしの口からかなり小さくなったクリスタルが飛び出した。あまりの小ささに床に落ちた音すらしない。それを慌てて拾おうとしたわたしは、足がもつれて派手に転んだ。

しかし幸いにも、ちょうど床に落ちたクリスタルの上に手をついたようで、かすかな異物感が左手の掌を通じて伝わってくる。

(よかった)

心の底から笑顔が湧きあがるのと同時に、わたしの口から茶色のネバネバした液体が垂れ下がってきた。透き通ったこげ茶色の粘液のようなものが、次から次へと溢れ出る。口から垂れているが唾液ではない。むしろ体液とは異なる、わたしも初めてみる液体だった。

 

四つん這いになりながら顔だけを上に向けて、このクリスタルを売りつけてきた友人の顔を仰ぐ。これはいったい何なんだ?

「覚せい剤」

あぁ、やっぱり。見た瞬間に実はそう思ったし、舌に乗せた瞬間に強烈なヒリヒリ感と同時に、終わりのないトンネルへと足を踏み入れた自分が見えた。これは美味いとかマズいとか、そういう問題ではない。人間が手放すことのできない、遺伝子レベルで吸い寄せられる高重量の物質で、とてつもない大きさの質量を持っていることがわかる。わかるというより、脳に直接こびりついてくる。

 

こんなものを舐めてはダメだ。すぐに警察に捕まるだろう。いや、もしかするとしばらく泳がされるのかもしれない。それにしたって誰かに監視される日々なんてまっぴらだ。

あぁ、しかしこいつはなんだってわたしに、こんなやっかいなブツを売りつけてきたんだ。しかも4,000円なんていう破格の値段で。だがこれと引き換えに、あの4,000円は何に変わるのだろう。思い切って聞いてみたいが、他の乗客の様子がおかしいこともあり、声が出ない。

 

とにかく、ダラダラと垂れ流すこげ茶色の透明な粘液を手の甲で拭い、このバスを降りようと思う。まずはバスを降りてから、それから考えればいいだろう。

 

(了)

 

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