首という広野に芽吹く一つの突起

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ニンゲンというのは、想像以上に繊細な生き物かもしれない。なぜなら、首にできたわずか1ミリ程度の小さな突起が、気になって気になって仕方がないのだから。

 

 

ささくれ(さかむけ)よりも小さいのではなかろうか、ちょびっと飛び出た皮膚の突起を発見したのは、先週のことだった。道着の襟と首とがこすれ合い、擦り剥いたかのように赤くなった首にクリームを塗っていたところ、何やら指先に触れる異物の感覚に気が付いた。

(擦り剝けた皮かな?)

そもそも軽い擦過傷となっているため、皮膚が傷ついていても不思議ではない。ヒリヒリする患部にちょんちょんとクリームを塗布すると、そのままそっとしておいた。

 

あれから一週間くらい経った頃、なんとなく首に触れたわたしは、あの異物感に気が付いた。首という広野にたった一つ芽吹いた新芽のような、なんともありえない状況。

これはもはや擦過傷の痕などではない、ではいったい——。

 

よく、加齢や大量の紫外線を浴びたことで、首に小さなイボのようなプツプツができた人を見かける。そして、その小さな突起物は恐ろしい形をしている。極小の円筒系の皮膚が、首からニョキっと突出しているわけで、アレがさらにニョキニョキ伸びてきたらホラーである。

まさか、アレがわたしの首にも生えてきたのか——。

 

鏡を使って確認しようにも、角度的にアゴが邪魔でよく見えない。スマホのカメラで撮影するも、あまりよく分からない。痛みや痒みがあるわけでもなく、変色しているわけでもないので、放っておいて問題はないはず。だが、一度気が付いてしまったこの小さな異物を、意識から外すことができないのである。

 

1ミリにも満たない突出した皮膚の一部に、ここまで恐怖を感じて恐れおののくなど愚の骨頂。とはいえ、存在するはずのないものがそこにあるというのは、やはり異常であり恐怖の象徴となるのだ。

たとえば、生えるはずのない部位に一本だけ毛が生えていたら、すぐさま引っこ抜くだろう。なぜなら、あってはならないものがそこにあるからだ。これと同様に、いかなる小ささだとしても、首という広野になんらかの突起物が存在してはならないのである。

 

わたしはすぐさま近所の皮膚科を検索し、オンライン予約をした。

 

 

「どれですか?」

まだ20代と思われる女医が、わたしの首にできた悪魔の蕾を確認しようとしている。にゅっと首を伸ばして見せるも、どれだかよく分からない様子。

しかたなく自らの手で首を撫でながら、「これです」と例の突起を指さした。

「あぁ、これですか・・」

そう言いながらピンセットのような器具を手にすると、

「ちょっとあっち向いててください。取っちゃうんで」

といって、わたしの顔を右へ押し向けた。その瞬間、プチっという音がしたかしないか分からないくらいの速さでピンセットを動かすと、処置は終わってしまったのだ。

 

(え・・!?何が起きたんだ?!)

あまりの瞬殺っぷりに目をパチクリさせていると、女医はピンセットを見せながら、

「これ、医療用のハサミなんですよ」

と言って笑った。

 

つまり、わたしの首にできた極小の突起は、ハサミで切り取られたのである。極端にいうと突起は皮膚の一部だから、わたしは麻酔もせず皮膚を切り取ったのだ!

それにしてもどうだ、まったく痛みを感じないではないか。切除された瞬間も、そして切り取ったあとも、痛みのいの字も感じないわけで、首の皮膚というのは痛覚が存在しないのだろうか。

 

稗粒腫(ひりゅうしゅ・はいりゅうしゅ)と呼ばれるこの小さな突起は、主に目や鼻の周りにできるらしい。

稗粒腫の原因は明確ではないが、何らかの原因で皮膚にできた袋状の部分に、ケラチンなどの角質が溜まった結果、隆起して突起となる模様。さらに、生まれつきの場合もあれば、外傷や加齢が原因で発生するなど、予防が難しい良性の腫瘍なのだそう。

 

それにしても、なんの気なしに右を向いた瞬間、あっというまに皮膚を切り取る技術はあっぱれとしか言いようがない。これが、「ちょっと痛いけど我慢してくださいね」とか「今から切りますよ」などと脅されたら、それこそ大した痛みを感じないにせよ数秒間の恐怖を強いられるわけで、患者としてはいたたまれない。

それを、しれっとあっちを向かせたタイミングでチョキン(正確にはプチッという感じ)とやってしまう若き女医は素晴らしい。患者の、いや、相手の気持ちや心境を理解しているからこそなせるワザである。きっとプライベートでも、多くのオトコが手玉に取られたことだろう。

 

こうしてわたしは元通りの滑らかな広野を取り戻すと、颯爽とクリニックを後にしたのである。

 

Illustrated by 希鳳

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