心が病んでいる者と宗教の勧誘

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精神的に病んだわたしは、冷静かつ客観的に自分自身を見つめた。そして「これは病んでるな」と確信したのは、大好物のコーヒーを飲まなくなったときたっだ。

一日2リットルほどのコーヒーやカフェラテを摂取する「コーヒー狂」のわたしが、コーヒーを飲みたいと思わなくなった時点でなんらかの不調が疑われる。そもそも、外出もせず自宅にこもっていると、コーヒーを手に入れるルートが断たれる。ウーバーイーツという手段もなくはないが、そこまでして飲みたいとも思わなくなり、挙句の果てにはコーヒーの存在を忘れるほど、心は荒み思考は停止していたのだ。

さらに身体的・機能的な変化も現れていた。何もしていないにもかかわらず、常に体が怠いのだ。おまけに物事を考えるのが億劫になり、気がつけば20時間以上も寝つづけるという、明らかに異常を示す状態が続いていた。

毎日投稿を続けているこのコラムを書くためだけに、わたしは起き上がり手を動かした。そのため、わたしの異常を知る者はほとんどいなかったのだ。

 

一人暮らしのわたしは、生身の人間とかかわることがない。何時に寝起きをしようがどんな格好でうろついていようが、誰かに咎(とがめ)られることもなければ、誰かに気を使う必要もない。そんな環境だからこそ、坂道を転がるようにダークサイドへ堕ちてしまうのである。

過去に体験した、精神疾患を抱える患者とのやり取りの記憶が蘇る。家族がいる場合は、まずは家族が相談に訪れることができるので、障害年金の申請を順調に進めることができる。だが一人暮らしの場合、かなり症状が進んでからしか病院を受診することも障害年金の相談をすることもできないため、色々と手遅れになるケースもあった。

彼ら彼女らの気持ちが、今ならばよくわかる。これは不可抗力であり、「頑張る」などという選択肢はありえないのだ。

 

コーヒーを飲まなくなっただけでなく、ピアノの練習もしなくなり、SNSを見ることも他人との関わりを持つこともしなくなってから、いつか復活する日が来ると分かっていても、「このままでいい」「これが正しい」と、心のどこかで今の自分を正当化するようになった。

こうなるきっかけは、確かにあった。だがそれは単なるきっかけにすぎず、それまでに積み重ねた動かしようのない日々こそが、心を蝕む要因となったのだ。

それでも、「どうせ死ぬなら今じゃないし、死ぬことすら面倒くさい」と、最悪の事態には向かわなかった。会社退職や交際破局など、これまで継続してきた役割や関係を終わらせることは、想像以上にエネルギーを使う。そんなことをするくらいならば、現状維持のほうがマシ——。人生を終わらせることも、これと似ていてパワーが要るのだと知った。

 

そしてわたしは、奈落の底から浮上するべく立ち上がった。重たい玄関のドアを押し開けて、外へと出たのだ。

 

 

よく、「心が弱っているときに、宗教に勧誘される」というが、それは、弱っている人間から負のオーラが出ているからだろうか。見るからにしょんぼりしている場合は別として、街中を歩く人々で心を病んでいるか否かを見分けるのは、それなりの洞察力や眼力が必要となる。つまり、今のわたしは正に「心が弱っている人」に当たり、そういった勧誘を受けるに値する立場だといえる。

それなのに、なぜこのオンナはわたしに声をかけてこないのだろうか。オンナだけではない、少し離れたところで人間観察をしているあのオトコも、なぜわたしに声をかけようとしないのか。

 

距離が離れているから声をかけにくいのかと思い、わざわざわたしからオンナに近づいてみる。だが変化はない。それどころか、わたしと目が合ったオンナは、なんと場所を移動したのだ。

(どういうことだ? 弱っている人間、つまりカモが目の前にいるにもかかわらず、なぜ行動を起こさないんだ??)

ショックというより怒りを覚えたわたしは、移動したオンナの目の前に仁王立ちした。するとオンナは、恐怖に慄くかのように眉間にしわを寄せると、「ご、ごめんなさい」と叫びながら走って逃げたのだ。

 

このままオンナを追跡してもいいのだが、かといって入信したいわけでもない。ただ、わたしから「弱者のオーラ」が出ていることを確認したかったのだ。

それにしてもあのオンナも悪い。とりあえずわたしに声をかければ済んだ話なのに、目が合ったにもかかわらず無視をするからこうなるのだ。

こうなったら、もう一人のオトコのほうに——。

 

花壇の縁に腰かけていたオトコのほうへ振り向くと、そのオトコもそそくさと荷物をまとめて立ち上がろうとしていた。わたしとオンナのやり取り(実際にはなんのやり取りもなかったのだが)を見ていたオトコは、「自分は巻き込まれたくない」と言わんばかりに、その場を立ち去ったのだ。

 

結局、心が弱っている人間に近づいて勧誘するはずの宗教は、本当に心が弱っている人間には近づいてこないのかもしれない。いや、もしかすると「(カネを引っ張るにも)あいつからでは大した金額は引き出せない」と判断したからかもしれない。

だとしたらそれはそれで正しい目利きであり、やはりあいつらの嗅覚は優れているといえる。・・あぁ、それにしても一度でいいから、宗教の勧誘と痴漢に遭遇してみたいものだ。

 

Illustrated by 希鳳

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2件のコメント

病んでいるように絶対見えないタイプですねりかさんは(笑)
自信無さげでちょっぴり幸薄そうに見える人が声かけられそうなイメージ
昔、そんな感じの会社の同僚が勧誘されてましたー

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